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2012年8月30日木曜日

中国からすれば当然、日本は憮然 - 尖閣諸島領土問題

中国にはふたつの意味がある、ひとつは中華人民共和国を指す言葉であり、もうひとつは中国地方である。これは文脈から判断するしかないものであるが、同じ言葉同じ漢字で異なる地名というのは存外に多い。そういう場合に違いを出すには接頭子で区別するのが普通だろうか。確かに支那という呼び方もある、しかし当人が今日から中華人民共和国です、と言っているのに旧姓の支那で呼ぶのも自然さがない。大陸の中国、とか中国地方と呼べば区別が付くのである。ここでは大陸の中国について語る。

尖閣諸島上陸の動きが活発だ。中国人、台湾人が捕まったかと思えば、次は東京都知事が捕まりそうである。片や国外退去で、もう片方が軽犯罪で済むならば実効支配がどちら側にあるかを示すいい機会だ、逮捕しちまえ。しかし実際の所は、これまで無視を続けてきた日本を中国が引きずり出した格好である。囲碁で言えば不満のない分かれとは言えない、日本に不満の残る形だ。

ここで深読みをしなければ、人気取りの政治家が民衆に分かり易い解を与えたとも言える。それは相手を利する行為であったかも知れないが、灰色で有耶無耶にするより白黒つけようではないか、と主張したのは良かったかも知れない。

中国からすれば、尖閣諸島は有望な日本への手筋であるし、何よりも国内の鬱憤を晴らすのに絶好の手段である。まだ使い道があるこの問題を解決したいわけがない。この問題を睨みつつ他を打ちたいはず。また中国が適度にガス抜きをしなければアジアの安定に支障がある、と日本が感じるならば、この問題を保留したまま別の問題を論じる事に中国と日本は一致した見解を示すであろう。

何かある度に公式には中国政府が自らに有利な主張をすることは当然である。日本はそう主張される事の何が悩ましいかを考えなければいけない。囲碁を知らずして領土問題を語るな。自分の陣地だと思っていた所に相手が打ち込んで来るのは当たり前の話しではないか。コウ争いだったり、振り替わりを狙ったり、相手も死力を尽くしている。

日本は尖閣諸島を自分の領土と主張するが中国は「見損じはありませんか」と聞いてきている訳だ。それにどう応じるかは日本の問題だ。手抜きをしてもよいし、応じてもいい、これを利用して別の場所でコウ争いを挑むもよい、対するは全て日本側の問題であって、畢竟、これは国内問題に過ぎぬ。

鄧小平が語った
次の世代はわれわれより賢明で、実際的な解決法を見つけてくれるかもしれない

尖閣諸島は鄧小平が何十年も前に相手の陣地に打ち込んだ石である。日本はこれを死に石と見た。中国は戦い次第では息を吹き返すかもしれない、と目論んでいた。中国政府としては漁師だの活動家だのいつ死んでも惜しくないような人間を使って相手側の政治家を釣れたのだから何と安い買い物ではないか。まさに魚釣島である。

それくらいの読みは日本政府だってある、これまで無視してきたが、ここまでやられて黙っていられるかと竹島では強気の発言もした。深読みすれば、これは日本国内の不満を領土問題で煽って支持率に結び付けようとする裏取引かも知れない。普通に見れば、相手の手に迂闊に乗っかたおっちょこちょいだ。だが自分の読みを信じられなくて碁打ちが務まるかと言う話である、コケにされて引きさがるような勝負師などいないし、碁打ちもいない。

これはただの領土問題ではない。互いにレアメタルや貿易問題もチラつかせながらも続ける国家間の対話だ。円高に一喜一憂したり円安にしろと主張をしながら、中国には強硬に対峙せよ、と主張する人は報復の覚悟はあるのか。もし覚悟なくアジテートするなら論理は矛盾する。日本経済が中国と密接である以上、臥薪嘗胆や韓信の股くぐりは互いにありうる。

日露戦争の故事にもあるように日本では目前の利益に熱狂する節がある。プライドを大切にするなら突っぱねるもよし、その代償は経済の縮小で払え。飢えてもよい矜持を取るのか、それとも乳飲み子のために頭を地面に押しつけるか、人それぞれの考えがどう国として集約するか。

これは原子力発電所再開と同じ問い掛けだ。安心のために再稼働をしない、その代償は電力不足と物価の高騰だ。安全かそれとも経済か。突き詰めれば全てがひとつの問題に直面する。石油依存社会の終焉である。先の戦争からずっとこの問題と対峙してきた。それがいつの間にやら安心だの矜持やら経済の問題にすり替わっただけだ。いずれにしろ両取りはない、二重当たりや王手飛車取りだってどちらもは取れない。

中国は既に巨大な龍の大国である。これは、別に中国の人を警戒しているのではない。貶しているわけでも嫌悪しているわけでもない。そういう力を持った、という事実を認めるべきだ。強い国が強硬に見える手段を用いるのは当たり前であって、アメリカと付き合っていれば、それは身に染みて分かっていることではないか。

既に中国と対するのに日本一国では難しい。そうであれば G8 だけでなく ASEAN とも積極的に連携すべきではないか?中国から東南アジア、インドへシフトする姿勢を強く押し出してゆくべきではないか?中国と対するなら中国を孤立化させる以外の手段はない。一国で事にあたるな、必ず複数の国と共にあたれ。巧みに合従連衡で立ち振舞わなければならぬ、秦に滅ぼされなければいいけど。

だがよく歴史を見てみよう、強い支那は今に始まった事ではない。弱い支那が歴史の上で稀だっただけでアジアでは長い昔からどの国も強い支那と付き合ってきた。遥か昔、聖徳太子が心を砕いた時も強い支那が相手ではなかったか?

強い中国の出現を嘆くことはない、かの飛鳥の時代と同じ苦労を我々もするだけの事じゃないか。明治時代に台湾出兵の収拾で味わった大久保利通の苦労を我々もするだけの事じゃないか。ヨーロッパと比べれば、かつて支那にあった大国は穏健な平和をアジアにもたらしていた。己れを攻めた国の敗残の子供たちを引き取り自分の子として育ててくれた人たちである。

それは歴史上、事実だと思われる。

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