子曰 (子曰く)
苟正其身矣 (いやしくもその身を正しくせば)
於従政乎何有 (政に従うに於いて何か有らん)
不能正其身 (その身を正しくすること能わずば)
如正人何 (人を正しくすることを如何せん)
(訳)
もし自分が正しいと思うのなら
政治を行うのに猛進すればよい。
しかし無理して正しくあろうとしても
誰が従うだろうか。
自分が正しくないのにどうやって他の人に正しさを求めるのか、だからまずは己が正しくあれ、と言っているのではない。己を律して正しくしたとしても、律さなければならないような正しさにどうやって信を置くのか。無理しなければ出来ない正しさが社会に浸透するはずがない。
自分が無理しなければ出来ない事を人に要求しちゃいけない。もし要求したければ自分にとっても自然なことだけにした方がいい。孔子は"其の身"と呼び、"己の身"とは言わない。だけど己の身ではないけれど、己の身として考えてみてよ、と言っているのが分かる。
自分は正しいと信じて他の人に説く。彼らは己が正しいと信じて己の正しさを頼みとして他の何も必要としていない。だが、正しいと信じて行動する彼らを律するものは何であるか。誰れが正しいと決めるのか、出来る訳ないじゃないか。
その身を正しくする事など能わず、と孔子は言いたいのだ。自分を正しく律するだって?そんな事は無理じゃないか。己の正しさも分からないのに、他の人の正しさをどうやって分かるというのか。他の人が己を正しいと言ってくれる、ではその人は正しいのか。
己の正しさを信じてしまえば他の何もいらなくなる。己の正しさを顧みる事もなく、他の人に正しくあれと主張するのを如何にすればよいのか。
みんなが自分は正しいと言いながら政治を動かす。見てみろよ、正しいという主張はどれもどこか無理をしているじゃないか。あやふやな正しさだらけで彼らを自省させるものなど何もない。
もし正しいのであれば何だって出来るさ、だけどあなたの正しいの正体は何ですか、あなたが正しいと誰が決めるのですか。もしあなたが間違っているのに他の人に正しくあれと言っているとしたら如何するのですか。
人に正しさを求めないようにしよう、同様に自分にも正しさを求めまい。正しさというものを身にすれば人は際限なく暴走しもう歯止めは利かないのだから。
では正義以外の何がこの世を成り立たせるのか?
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