Charter of the United Nations Chapter 7 Article 51
Nothing in the present Charter shall impair the inherent right of individual or collective self-defence if an armed attack occurs against a Member of the United Nations, until the Security Council has taken measures necessary to maintain international peace and security. Measures taken by Members in the exercise of this right of self-defence shall be immediately reported to the Security Council and shall not in any way affect the authority and responsibility of the Security Council under the present Charter to take at any time such action as it deems necessary in order to maintain or restore international peace and security.
Charter of the United Nations | United Nations
日本語訳
第51条
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
国連憲章テキスト | 国連広報センター
短くすると
第51条この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に武力攻撃が発生した場合、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使は、安全保障理事会の行動に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
要するに
個別であれ集団であれ加盟国は自衛権を持っている。加盟国は安全保障理事会が平和を回復するまでの間は独自の行動により自衛権を行使できる。安全保障理事会が対立している場合 平和が回復するための行動が遅れる場合がある。その責任を安全保障理事会に対して追及することは禁止する。考えるに
武力行使の機会や能力を奪う事が戦争を繰り返さないひとつの有力な選択肢である。軍の廃止、戦力非保持は方法論のひとつとして熟慮する必要がある。戦争についての問題は常に実効性に尽きる。効果が期待できない、実効性のない議論は少なくとも現状では採用できない。少なくともそれが実現性を持つまでは。すべての国が軍を廃止したとしても、明日 誰かが軍を設立するかも知れない。持たないことをどのように保障し確約させるのか。それが実現できない限り絵空事である。そのような世界は危険な疑心暗鬼を人々の間に生むだけであろう。
弱くても正義はある。だが力のない正義が到来することはないだろう。では正義はどのように実現されるのか。現在は無力だとしても、正義の拠り所は戦いをやめない点にある。時間の耐久性だけが正義の寄って立つ所だ。
これまで他国とされた地域で自衛権を逸脱することなく戦闘行為を行うには、それらを併合したと宣言するのが良い。これによって起こる紛争は内紛になる。国内での戦闘行為は自衛権ではない。治安である。
そうならないように、集団的自衛権がある。単独では困難であっても集団ならば対抗しうるからである。
集団的自衛権を認めると日本は戦争に巻き込まれるかも知れないと危惧する人々がいる。我が国の外交を見る限り、強い圧力には従属する癖があるし、対立する場合は自分勝手な主張が多くなる。
もし日本が戦争に参加すると決定したならば、兵士たちは軍を去るかも知れない。兵が不足すれば補充しなければならない。そのために徴兵制を採用したとしても不思議はない。
徴兵制も制度のひとつである以上 政治家や政府がやろうと思えば何時でも実現可能である。そこにどんな整合性も合理性も必要ない。狂人でさえ、選挙で当選し、手続きを踏みさえすれば実現できる。民主主義でこれを阻むものは選挙しかない。このように軍隊への不信感が強いのはもちろん先の大戦が原因である。だが、戦争をしたことを反省すれば済むようなものではない。戦争をしたことを反省するようでは遅すぎる。
地政学上、それぞれの国家はそれぞれの状況に応じた国防を構築する。戦前の軍部はそれらの研究が不足し縦深な中国を攻めあぐねた。アメリカに上陸してワシントンを押さえれば勝利できると考えていた。つまり当時の軍部に本気で戦争をする気などこれっぽっちもなかったのである。
日本は周辺を海に囲まれている。だから資源が入ってこなければこの国は成り立たない。明治維新で人々が驚愕したのは、海に守ってもらえる時代が終わった、という事ではない。この先は多くの国々とのバランスの上に立たなければ国は成り立たない、という現実に目が覚めたのである。貿易を失えば、戦闘能力さえジリ貧に至る。島国でゲリラ戦を展開しても国外からの補給路が確保できなければ立ち枯れるしかない。国内にある資源だけでは国が成り立たない時代が到来したのであった。
するとこの国の防衛は貿易によって維持するしかない。貿易相手がいなくなれば、経済も防衛も成り立たない。それをひとつの国でやりきるなど不可能である。国防とは戦争に勝つことではない。講和の仲介をしたり、戦争から自国だけが撤退する方法も研究したり、裏をかかれた場合の対処法を知っておかねばならない。そのためには多くの経験が必要だ。国際紛争に積極的に参加している国々は、その経験の中で国家を鍛えているのである。
だが、我々は戦争を知らない。その経験も乏しい。だから徴兵制などという議論ばかりを続けている。戦争中でさえそうであった。戦地の兵隊さんの大変さをおもんぱかり、特攻隊について考えてばかりいる。確かに命は称賛に値する。だが、それは戦争の趨勢を決定するものではない。
戦争を決定するものは補給である。戦争は最後まで補給が続いた方が勝つ。だから戦争を支えるものは内地である。これが戦争の鉄則であり、補給の継続を失わせるための行動を戦争と呼ぶ。人的資源、物的資源、経済体制、政治体制、国民の気力を削ぐ方法は幾らでもあり、それ以外は戦争の副作用に過ぎない。だから B29 は都市を焼き人を焼いた。
平和とはもしかしたら戦争をする気が起きないように各国が今も互いの補給路を断ち続けているからかも知れない。
多くの人は花を愛でる。その花も根を絶てば枯れる。この常識もなく我々は徴兵制を語っている。この国は未だうわべの戦争しか知らない。
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