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2017年8月17日木曜日

猿たちの断末

神が我々を生み出してからどれくらいの時間が経過したのだろう。もちろん、神は我々に言葉と石器を与えたもうた。我々の舌を通して発せられる美しい言葉には他のどのような生物の口からも出せない美しい響きがある。樹上で騒ぐ猿たちの喚き声とはわけが違うのである。

我々の石器の美しさはどうだ。こんなに美しく磨くことができる生物が他に居るだろうか。我々の尻尾は極めて器用で力も強い。これで石を打ち、磨き、尖らせ強靭な槍にして我々の尻尾に掲げる。

ゆらゆらと地面を這い、ゆっくりと音もたてずに猿どもに近づいてゆく。風が揺らす葉の音と、樹上を這う我々が出す音に違いはない。十分に近づいたら猿どもの胸にこの槍を突き立てる。どさっと音を立てて毛むくじゃらの白い体が樹上から地面に落ちるのである。猿の仲間たちは騒いでいろいろなものを投げてくるが、もう遅い。

私は木の枝からどさっと体を落として、倒れた猿に近づく。まだ少し息がある。これは私からの慈悲である。体をゆっくりと猿の首に巻き付けてぐいと力を入れる。すると猿の目から光が消えてゆく。恍惚の時間である。

私は肉塊となった猿を丸飲みする。顎を割り口を大きく開けて、ゆっくりと体の中に入れ込む。少しの息苦しさが充足感である。狩りは終わった。のそのそと地面を這い、私は自分の村への帰途へ就く。

さすがに大人の猿一匹では体が重い。ゆっくりと這っていると、草むらからガサゴソと音がした。シャーと音を立てながら首を持ち上げ舌を出すと、小さな生き物がいた。犬である。それも子どもの犬である。

どうやら親とははぐれたらしい。体に幾つかの傷が見受けられる。たぶん親犬は生きておるまい。集団を作る犬たちが全滅するとしたら、我々の仲間に狩られた可能性が高い。運よくこの子犬は生き延びたのだろう。さて、どうしたものか。

怯えた子犬は私の睨みでブルブル 震えている。体がすくんで動けないのである。さて、食べてしまうか、見逃してやるか。どうしたものかと思案に暮れる。逃がした所でこの小さな体では生き延びるのは困難である。なら食べてしまうのが情けというものか。

と、ふと私は面白いことを思い付いた。この犬を育ててみようと思ったのである。震えている子犬を私はしっぽに巻き付ける。子犬はさらにガタガタと震えているが今はそのままにしておく。槍を体に縛り付け直して村へと向かった。

すぐに食べられないと知ったのか次第に震えが収まってきた。幾分きょとんとしている。まぁよい。そのうち慣れるであろう。

私は村に帰って、猿を吐き出す。仲間で分配するのは我々の美徳である。これを石器で切り分け、それぞれが好きに調理して食べる。私の好みは薄く焼いたレア肉である。

子供たちが近づいてきた。私は子犬を子供たちの前で披露した。子供たちに囲まれて犬は私の影に隠れようとする。子供たちがこれ食べていいのと聞くので叱りつけた。私はこの犬を育てるのだと子供たちに言った。じゃあ大きなったら食べてもいいんだね、と聞くので、私は笑って何も答えなかった。

夜になってみながどくろを巻いて寝ている。岩の上はひんやりして気持ちいい。私は妻をみた。妻はその涼しげな目で私を見ていた。すらっとした胴体がなんとも艶めかしい。昼は服を着ているので気にならないが、こうして裸の彼女をみると体の文様がなんて素敵だ。

彼女の少し低い体温が私の体に触れる。彼女のうろこはとても気持ちいい。わたしたちは尻尾を絡ませながらゆっくりと樹上の高いところに上る。木の枝に体を巻き付けながら、お互いの存在を強く感じた。

この世界のほとんどの生き物は我々を嫌っている。それは私たちが圧倒的に賢く、強いからに違いない。猿が私たちを見る目には驚きと憎しみが溢れている。なぜ我々が動けるのかさえ不思議そうである。

だが、それが彼らの限界である。どれだけ騒いでも喧噪の猿どもが我々より優位に立てるはずもない。我々の特別性に神の御業を見る。足のある種族はどうしてああも鈍いのだろうか。そんな動物を私たちが育ててみるのも面白い試みだろうと思う。

そこから何かを学ぶことが出来るだろう。私は妻の体にしっかり体を巻き付けながら、そんなことを考えていた。

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