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2017年7月6日木曜日

日本国憲法 第二章 戦争の放棄 I

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

短くすると

第九条 日本国民は、戦争と武力の行使は、永久に放棄する。
○2 陸海空軍その他の戦力は保持しない。国の交戦権は認めない。

要するに

おまえらこんだけいくさに強いのに、戦争についてはなんも知らんな。暫くは戦争すんな、まずは外交から研け。

考えるに

パリ不戦条約 (1928年, 日本は 1929 年に批准) の理想を取り込んだ条文である。戦争は有史以前からあった。第一次世界大戦は其れまでの戦争の考え方を改めさせた。兵器が人間の限界を超えたと言ってよい。

思想としてみればこれほど詰まらない話もない。戦争は悪い。そんな話しは誰でも分かる。その善悪は誰もが知っている。なのに戦争は止まない。

もし戦争が誰かの悪い考えで起きるならば、悪人をこの世界から排除すれば良い。または悪い考えを駆逐すればよい。もし誰かを殺すことでそれが達成できるのなら、その殺人は正義である。もし、この殺人が悪であるなら、戦争は悪ではない。何故なら、悪によって討たれるものが悪のはずがない。悪は常に善を討つものだからである。

この条文が未だ論争の中にあるのは、先の大戦がこの国でまだ解決していないからである。戦後の日本はそれを直視せずにやり過ごそうと努めてきた。だがいつまでも忘却できるものではない。世界はそのような態度を待ち続けるほど温くはない。

あの戦争を突き詰めれば、我々は信じるに足る人間であるか、という問いに尽きる。我々は何故あのような戦争を始めたのか。なぜ関係ない人々を巻き込んだのか。なぜ愚かで無能な敗戦を経験したのか。我々はもう一度同じ状況において、今度は戦争を回避できるのか、今度は勝てる戦争ができるのか。それをこの条文は問うているのである。

あの戦争は内政の延長に過ぎないものであった。あの戦争は外交とは呼べない。2回のクーデターで縮みあがった内政がいかにクーデターを抑え込むかという権力闘争の果てに起こした戦争であった。我が国はクーデターを抑え込むその片手間でアメリカと戦争をしたのである。

GHQ が作成した日本憲法原案が日本憲法になる。9条は「事情変更の原則」に鑑みて既に無効ではないかという指摘もある。

原文
Article VIII
War as a sovereign right of the nation is abolished.The threat or use of force is forever renounced as a means for settling disputes with any other nation.

No army,navy,air force,or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the State.

私訳
8条 戦争は、国が権利として有する戦争は、廃止する。威嚇、力の行使は、永久に放棄し、他国との争いを解決する手段としない。陸軍、海軍、空軍、またはその他の戦争を遂行する能力は許されないし、交戦する権利も国に与えない。

9条原案。
第八条 国民の一主権としての戦争はこれを廃止す。他の国民との紛争解決の手段としての武力の威嚇、又は使用は永久にこれを廃棄す。
陸軍、海軍、空軍または其の他の戦力は決して許諾せらるること無かるべく、又交戦状態の権利は決して国家に授与せらるること無かるべし

日本政府原案
1. 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
2. 陸海空軍その他の戦力の保持は、許されない。国の交戦権は、認められない。

日本国憲法
第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これら変遷を辿れば憲法に係った人たちの気持ちが見えて来る気がする。この条文の骨格は次の解釈でよい。
  1. 日本国民は、戦争を永久に放棄する。
  2. 陸海空軍を保持しない。国の交戦権を認めない。

日本国憲法はその基本骨格の上に次の条件を付与し諾とする。
  1. 国際紛争を解決する手段としては、これを放棄する。
  2. 前項の目的を達するため、保持しない。
  3. 国の交戦権は、これを認めない。

注目すべきは、誰にでも明瞭にではなく、解釈できる余地を入れた所にある。彼らは、9条を明記しなかった。彼らは解釈可能となる余地を残した。憲法はそのように作られている。
  • 国際紛争を解決する手段でない場合、放棄しなくてよいか?
  • 放棄するものが指す「これ」とは何か?
  • 前項の目的を達しないためならば、陸海空軍の保持は許されるか?
  • 交戦権が認めない「これ」とは何か?

条件が付いた。無条件ではない。「これ」に解釈の余地がある。紛争は起きる、問題は解決しなくてはならない、だがその時の手段を放棄すると言っているのであって、紛争を解決する権利まで放棄したのではない。

放棄するものは権利である。その権利を行使して解決することは許されない。よって紛争を解決するにはそれ以外の権利を行使するしかない、と言っているのに等しい。そのためにはどのような権利があるか。使ってはならない権利を明確にしなければ、どの権利が紛争解決に使えるかも分からない。だからどのような権利があるかを明確にせよ、と言っているのである。

「これ」が指す権利とはどのような権利か。それはまだ世界にない権利かも知れない。我々は無制限の戦争を許さない。だが、我々は戦争を色々な権利の複合と見做す。ならば、その中には我々に使用できる権利があるかも知れない。つまり9条とは新しい戦争の形を創出せよと語っているのである。

我々に必要とされているのは不戦の誓いではない。古い時代の戦争でもない。我々はこういう戦争ならばする、と言う宣言である。

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