その可能性にたった6人の隔たりで辿り着ける。その可能性の大きさに対してとても小さなコストで実現できそうな Small World。これを逆に言えば、誰にも解決できない問題は世界と如何に繋がろうが意味はない、である。
では、誰が解決できないと決めるのか。それが絶望の正体か。絶望は可能性がない事ではない。ないと決めてしまった事、繋がりの放棄。
可能性を信じる限り、自分ひとりで問題を抱えなくていい。自分の目の前の仕事を精一杯するだけでいい。手に負えない問題は誰かに繋げればいい。絶望するのはこの世界の全員が絶望してからでも遅くない。
行動するだけでは抽象的すぎる。どう行動すればいいのか具体性が見えない。行動に移そうと言われても漠然とし過ぎて立ち止まるしかない。そうではなく、可能性を残したいのならば、隣にいる誰かとまずは繋げよう。
繋がるのは怖い。繋がりが切れたり繋がっていても壊れる事もある。途中で捨て去ったり無視して途絶える事もある。攻撃される事もある。誰も助けてくれなくて自分ひとりで足掻いて潰れてしまう事もある。
助けて欲しいと言う必要はない。困っていると打ち明ける事もない。相談でさえない。この問題はどうすれば解決できるだろうかと聞く。
Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.
もう一度いいます、あなたは未来を知ってから何かを繋げることはできない。あなたが繋げたものはどれもすべて過去に置き去られてゆきます。ですから、あなたは信じるしかない、その繋げた何かが自分の未来を切り開くという事を。
スティーブ・ジョブス スタンフォード大学卒業式辞 日本語字幕版
誰も始点ではない。誰もが受け取ったものを次に渡す中継点である。それは全ての生命が如何なる形であれ未来に繋げて来たものと同じだ。まず最初に命があった。未来に何かを託す必要はない。ただ繋げるだけでいい。誰も居らぬけれど一隅は照らす。
自分が誰かの直接の救助者になる必要はない。誰もがヒーローになる必要もない。ヒーローだって食事はする。それを提供する人が居なければヒーローだって餓死をする。ならばそこを支えるだけで誰かを救ったひとりだ。
自分の仕事が誰かと繋がる。6人の手を通じて誰かに届く。一生懸命したレジ打ちが6人を通じて世界の誰かに届く。自分が一生会う事もない誰かがこの世界に居る。自分でも知らぬうちにその誰かを救っているかも知れない。
たとえその殆どが誰も救わず、誰にも届かず消えて行くとしても。むなしく消えてゆく声だとしても。誰も解決できず自分に戻ってくるとしても。
さあアフリカにある問題を解決しよう。
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