ブラックホールは巨大な恒星の末路であって爆発するには重力が強すぎて吸い込み続ける様になったものだ。銀河系の中心もブラックホールであってそれがこの星系を成り立たせている。写真を見ても銀河の中心は明るいのだが (松本零士の絵も) ブラックホールが光りさえ吸い込むのであれば銀河の中心って暗いんじゃないのって思ったりもする。
(ハーロックの「俺の旗」を超える宗教など存在しない)
さて、恒星は水素から鉄までを核融合で産み出しその (宇宙と比べれば) 短い生涯を終える。その末期に幾つかの恒星はブラックボールへ転じる。強力な重力であらゆるものを吸い込むので、その中心は凄まじい高温と高圧になるだろう。この温度と圧力では分子は存在できず原子に戻る、更に原子としても存在できず素粒子に戻る。ブラックホールの中では原子は原子でさえいられない (陽子の崩壊)。それはまるで産み出した我が子を死に至らす伊邪那美命のようだ。
(ぼおるぺん古事記のような)
重力もまたボース粒子の一つといわれる。重力子 (Graviton) が存在すると仮定すればブラックボールの中心部にもこの粒子が存在するはずである。ところでブラックホールの中心部の圧力と温度が高温に成り過ぎて遂に素粒子の存在さえ許さなくなればどうだろう。
もしグラビトンがグラビトンでいられない状態がブラックホールの中心部に出来たら、そこは重力が消滅した世界である。まるでビッグバン直前と同じ状態にならないか。高圧高温の空間は重力によって維持されている。それが失われたらぎゅうぎゅうに圧縮されている何か (粒子でさえない) が一斉に外に向かって放出されるだろう。全ての素粒子が存在しない状態から外に向けて爆発する、しかし、中心から少しだけ外の空間には依然として重力が健在していて粒子として存在する世界である。中心とその周辺では粒子化したり粒子が崩壊したりするような対流が生じるのではないか。
ビッグバンの最初の段階は粒子がぶつかりあう状態があった。それは振動であるから音である。その次に光が生じた。中東の神が最初に光あれ、と言ったのはなるほど、理屈にあっている。光りの前に神は言葉を使った、つまり音 (粒子のぶつかり合う振動) は光りの前に存在した。ビッグバンとは宇宙で起きたブラックホールの爆発のひとつに過ぎないのかも知れない。
野球場を水素元素とすれば原子核はグランドに置かれた3つのゴルフボールに等しい。観客席に置かれた砂粒が電子に相当する。これが原子の構造だ。酸素原子と結合して水分子になる。ディズニーランドにゴルフボールを 3*2 +24 = 30 個だけ置いたのが水の分子だ。それで水という物質になる。
(宇宙人と出会い真っ先に理解し合えるものが元素周期表である)
構造として見ればスカスカなのに 1 兆 * 1兆個 (1mol) も集まれば手で触ることができる。電子顕微鏡で見たら丸い粒に見える。そこには構造とは違う場が支配する世界らしい。構造とは異なる力の場が存在する。この場の影響は小さくなればなるほどよく観測できる。
観測による真実とそれを説明するメカニズムを考えながらそこに少しばかりの空想を交えて人類 (を含むこの星の生命) は宇宙を目指すのです。
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