はじめに
陸軍はある目的に沿って作られ、日本人が洗練させてきた組織である。帝国陸海軍が日本を代表する組織だった事は疑いようがない。そして確かに陸海軍は日露戦争でその目的を果たした。そのために幕府を倒し維新を進め科学技術を導入してきたのである。こういう社会的な運命論、目的論は危うい。それは一つの解釈で決定論を構成するからだ。この危うさは結論が間違っているからではない。ひとつの見方に過ぎぬものを絶対としそれ以外を駆逐してしまうからだ。他の考えを全て排除するのは常に危うい。熱が排出できないのと同じ状況だからである。それでもこのひとつの見方はひとつの海図として扱いやすい。
この結実までの道程は幾つもの資料に小説に語られている。近代アジアの奇跡と見る人もいる。長い間の蓄積が江戸時代、それより前の人達の築いてきたものがひとつの到達点に至る。全てはここにこの日の為に。
そして、ピークに達した組織は解体されるのが本来の姿でなければならない。そうであるべきだ。育ち切った巨木は倒れる事で森林を再生する。目的を失った組織がどう自己執着に落ち込むか。そのためにどのような結末を迎えるか。それは避け難い組織の終着である。そのひとつの典型を見る。
国家の滅亡も興隆も世の常であり、死という進化上の必然の要請は別段で語るにしろ、目標を達した後の組織がどのように新しい行動原理を見つけ出し、それが以前とは全く異なる何かに変貌する、その結果としての戦争が来る。
敵国
日本を代表する組織である陸軍をしてあの体たらくの戦争である。あの敗戦である。短期的に見ようが長期的に見ようが、日本が滅びに向かっていた事はどうあがいても避けえなかった。空回りを続ける車軸がいつか燃えるのと同じである。そうして国家は崩壊した。恐らく何度やっても同じ結果である。辛うじて民は残った。他のやり方がなかったとは言えない。しかしそれは北朝鮮のように国体を維持し緩やかな衰弱の選択である。我々の歴史はその道は採用せず乾坤一擲の一撃を放ち穿つ道を選択した。そして返り討ちにあったのである。いやよく善戦したと評価すべきか。
あの当時の人たちでさえ実際は何を相手に戦っていたのかは知らないのである。あの戦争でアメリカに勝てば未来は開けたか。断じて否。仮に戦争に勝っても碌な未来にはならなかった。よくて現在の北朝鮮より少しましなだけの軍国体制をアジアの一角に築き、軍事的要塞を目指すしかなく米ソの対立の間で中立を維持するのがやっとであったろう。地政学は日本列島にそのような猶予を与えない。よって何度目かの衝突のすえ、どちらかに支配されるのが妥当であったろう。
我々の行動原理は何も変わっていなかった。だから同じ戦争を繰り返した。それが通用しなくなったと知る為に300万人の血を必要とした。
確かに目先の敵はアメリカやソビエトであった。確かに目の前に見える敵の軍艦はアメリカの旗を掲げていた。だが現実的にアメリカという国家の事は何も知らなかった。その国民性も文化も人となりも行動原理も。それはたまたま目の前に表れた現象に過ぎなかった。世界を見回せば敵として一番ふさわしかった。だから敵であった。
先ず戦う事を先に選択したのである。その次に相応しい敵を見つけたのである。この順序でアメリカを選んだのである。
誰も何が敵かも知らない中で戦争を始めた。誰を敵と決めただけで始めた。だから戦後の服部卓四郎のように自省するでもなくただ威勢ぶって生きるしかなかった人が沢山残った。生涯を通して何を相手に戦ったのか気付く事もなく生きた人がたくさん残った。それが日本の戦後であった。その疑問をバックボーンとして戦後の復興が始めたのである。
それが当時の人々の欠陥でも限界でもない。戦争から70年。それだけ経過したとは言え今の我々もまた何も知らないでいる。当時の人々を馬鹿になどできない。知らないという点では全く同じ場所に立っている。ただ結果を知っているというアドバンテージがあるだけだ。我々が本当に倒さなければならないものは何なのか。もし我々が当時の世界に転生したとしても、似たような敗戦を経験するであろう。
人材
服部卓四郎は当時でも最高度のエリート官僚であった。その人となりを語るならば今いる場所で最も強い意見に敏感な男となろう。その立ち振る舞いが悪いのではない。その能力は優れて周囲の状況を敏感に理解し把握する。故に大変に優れた調整役、ネゴシエータになれたのである。その聡明さはよき教師に求められるものに似ていたであろう。適材適所という点では彼が作戦立案の課長職に相応しいとは思われない。なぜ彼が抜擢されたのか。他に最適な人材はいなかったのか。誓って否。恐らく能力だけならば居た。アメリカであれロシアであれ中国であれ戦争をするという目的だけならば適材は居たはずである。そこまで人材に枯渇していた訳ではない。
しかし状況は戦争をする前に片づけなければならない課題が山積していた。多くの人の同意を取り付け反対する人を説得する技術がなければ何も先に進まない状況にあった。声の大きな人の考えを知り、それを理解し、周囲を説得する必要があった。
つまり彼しかいなかったとはそういう意味である。何よりも結論をひとつに集約するのが先なのである。その内容など何でも構わない。それが実現性という意味だったのである。現実とは何の関係ない話だったのである。
もし彼が別の場所に配属されていれば、その場所で能力を発揮すれば、無能だの愚者だのと評価される事はなかった。少しでもそういう自覚が本人にあれば、また別の行動原理を獲得したであろうと思うのである。
日本軍は混乱する中国を相手にさえ勝利は叶わなかった。幾ばくかの戦闘で崩れなかっただけである。これを勝利と見做すくらいにレベルの低い組織でしかなかった。それがこの国の歴史なのである。
屈辱は、陸軍のこの体たらく対して海軍もほぼ似たようなものであった事だ。日本を代表するこれら二大組織が同様に盆暗である。それ以外は推して知るべしである。
当時の日本で最も優れていたのが軍組織であった。これが我が国の最強の切り札であった。もしこのカードで勝てないなら何をしても勝てやしないのである。国難に対して我々は自分たちが考えうる最強のカードで勝負に出た。別に無謀でも不合理でもない。
人事
今さら人事をいじった所でどうこうなる話ではない。人事の官僚だって結論を出す事が最優先なのである。最もまとまりそうな人に託すしかない。上からの意見を無視する訳にもいかない。そうしなければ組織は紛糾し空中分解する。ただ分解させないためだけの結論が必要である。その結果がどうなるか、それは決まってから考えればいい。人は登用の仕方次第で盆暗にも明光にもなる。この真意の上で昭和の軍人たちは彷徨った。それでも大きな声で論を戦わせる以外にどんな方法があったろうか。
派閥の意見が政策を実現する唯一の手段である。権力闘争に勝利しなければどれだけ優れた政策も絵にかいた餅である。それが闘争を正当化する。政府を潰した所で何も痛まない。すべて合法で行っている。
この原理原則は民主主義的ではない。民主主義の中心には広く調整するがある。陸軍にも調整役がいたと思う。しかし権力闘争に勝った者の総取りの仕組みが強く働く。当人たちにはその意識はなかったに違いないが、何も制御するものがなかった。だから課長職に調整役を託すしかない組織になってしまった。それが元老を失った陸軍の組織の論理であった。
山県有朋が亡くなった時からの、これが陸軍の組織的な宿命であったろう。それを誰も訂正できなかった。陸軍はひらひらと舞う凧のように中国大陸の方へ飛んで行った。
何をどうひっくり返そうと日本の行く先は変わらなかっただろう。あらゆる組織が敗北した。敗北の理由が前もって解るくらいなら司馬遷が筆を尽くす必要はない。歴史に答えはない。いつの時代も敗軍の原因を探せば誰かに行きつく。そういう答えが欲しいなら尚更だ。
恐らく最善の人事を尽くした所で結果は変わるまい。そもそも最善とは何か。その選択がどのような運動を新しく繰り広げるか。それは複雑系の振る舞いをしよう。それは誰かの手に委ねて何とかなる程度のうねりではあるまい。
歴史のifが叶った所で、結果は空想に過ぎない。敗戦が数カ月のびた所で悲惨な戦いが上積みされるだけになる。紙幅の無駄である。
行動原理
これをみちびくに政をもちい、これを整えるに刑をもちいれば、民まぬがれて恥なし。江戸時代に磨きに磨き抜いてきた儒教や統治の理想がなければ維新は失敗していたはずである。その人材的湧出がわずか70年で失われた。目先の出世や栄誉や目先の金が洗い流したのか。
これをみちびくに徳をもちい、これを整えるに礼をもちいれば、恥ありてかついたる。
官僚の行動原理の第一は出世にある。階層構造を取る限りこの仕組みは当然である。その闘争が、自分の考えを実現する為に必要となる。当時からその欠陥を憂う人はいた。勝者への批判はあっても届く事はない。多くの権限を手にして改革は成せる。この競争の中で鍛えられて生き残る才覚なくして何故これだけの大組織を自在に運動せしめたれようか。そううそぶけば本当のように感じられるから不思議だ。
答えが最初にある。あとはそれをどう清書するかだ。その道筋を描ける者が重宝される。
なぜ戦争に突き進んだのか。それが誰も答えられない。これだけの官僚制度を作り上げたにも係わらず目的なき戦争に突き進んだ。否、当時の人々にも目論見はあったのである。こういう手段を取らなければ、恐らくこうなる。そうなれば決して看過できない状況に陥る。だからこうするしかない。自分たちをだます事は容易い。理由は幾らでも見つかった。
資源の尽きる前に戦争するしかない。なぜ中国から撤退できないのか、紛争の理由に立ち返る者はいない。現状を何とか動かすべきだ。打破しろ、突破口を探せ。誰もがアメリカとの争いを回避しようとする。しかし、誰も中国の権益をアメリカと分けようとする者はいなかった。
日本は単独でやろうとした。そこだけは譲れないとした。この戦争は不可思議な戦争である。権益を独占するための戦争だった。誰にも渡さない。それだけだった。分け合うべき理由がない。だから単独で孤独で戦う。
そんな戦争しか出来なかったから戦後の友人はアメリカだけになった。それを当事者たちはだれも統括せぬまま逝ってしまった。
第二次世界大戦がはっきりさせた事は紛争が一国だけで完結できるものではなくなった事だろう。規模は拡大し、物量が地球中の資源を欲する。世界は広いが巻き込めば世界のどこにも逃れられない。戦争の局面は変わった。
復興
敗北が戦後の経済復興を促す。戦前と戦後での人材は同じ。ただ国中を支配していた軍中心の登用が消えた。だから登用は新しい仕組みの中で行われるようになった。人々はそう取り組んだ。その自発さが戦後の発展を支えたはずである。復興、したのではない。軍に集中したリソースを国内の他の分野に割り当てた。そこはまだ十分に未開だったから成長する余地がたくさん残っていた。種はある、そこにようやく水が注がれたのである。
その復興は日本のポテンシャルを十分に生かしたともいえる。だが宿題は残ったままだった。そのまま戦後の復興は終焉を迎える。耕し尽くした分野になった。
Japan as No1と言われた時に我々はその先の向かう場所を持っていない事に気付いた。金を持っていても買う以外の何も出来なかった。それ以上の価値観を持っていなかったのである。所有欲以上の何も我々にはなかったのである。
世界に何も革新を齎さなかった。我々のやりたい事はその先にはなかった。頂点に立ったその先に何も持っていなかったのである。その時から組織はスタックし空回りを始める。戦前は軍で、戦後は経済で。場所こそ違えど同じ模索をしているのである。戦前は満州を目指した。戦後は小泉改革に飛びついた。同じように模索し最終的には人々の中にある目先の利益を追求する道で翻弄されている。
もしもう一度世界に挑むのなら、今の我々は軍には頼らない。国内を見回しても軍は最強の組織ではない。優秀な人材が集中しているのは軍ではない。今の我々の最強のカードは日本経済を主体に考えるしかない。
これでは戦前の陸海軍と同じである。その方法論は恐らく我々の方法ではない。日本が世界に影響を与えたのは恐らくコンテンツである。そういう形で我々は何かを発信し続けているのではないか。
日本のコンテンツに刺激を受け真似から初めオリジナリティを獲得した世代が世界中で生まれようとしている。この人の連綿とした動きの中に国も地域も文化も関係ない世界観の中で醸造されているものがある。
それを我々は経済と直結して考える方法を知らない。だから我々は今も、夢か、狂おしい程の愛か、溢れて止まらぬ情熱に依存する形でしか創造性を生み出せない。もちろん世界のトップクラスを占める人たちはそれでいい。所詮は狂人でなければ到達できない世界だからである。
だが、人間は群れる動物から進化した組織こそが力の存在である。個の能力を組織化して働くようにする事。そのための方法論を知らないでいる。組織は金と人と階層で成り立つ。そこには生活がある。生活するのに必要な給与さえ与えず夢で若者を狩る環境と、十分な給与を払いその道に邁進できる環境では、10年後はどのような違いを見せるか。
突出した才能では足りない。優れた調整役がいなければ組織は立たない。そしてそれは誰か一人の手で成るものではない。全員の才覚を集約する必要がある。だから我々の作る組織は自ずとそれ以外の地域の組織とは異なる。
組織の形成には、前提条件がある。知識や常識の一致が必要だから、参加者にそれを最初に求める手法と参加してからそれを周知してゆく方法がある。それは自然と組織の在り方も変えてゆく。
社会の形成
社会は人間の行動原理で成り立つ。その理由は気候、地形、周囲の生物圏に影響されて生まれてきたものだ。この影響の下で最小のコストで最大の利益を得られる部分で均衡しようとする。地球環境はそう簡単に変わるものではないので、自然に適用する事は、人間の行動原理を形成する。ゴミを拾うという行為にも理由がある。例えば、雨が多い地域では、ごみをそのままにするとどこかに流れてゆく。それが都市圏ならば下水を詰まらす原因となろう。ゴミを拾うという数秒の行為が上下水道の崩壊という一連の機能不全を防ぐ最小のコストとなろう。
最初は僅かな人が始めた事かも知れない。しかし人々はその意味を知るようになる。すると自発的にその行為に参加するようになるだろう。もちろん、そういう機序に触れてもやらない人間はいる。そういう野生動物と共存する事は仕方ない。それでも社会の全体の流れが広く浸透してゆけば、それは次第に社会の常識となり、いつかその行為の理由は忘れられる。それが当たり前の行為として人間形成の基本となる。それは道徳となり、美意識の大本となる。道徳はこうして常に表面上の行動となって表れる。
ついには雨の降らない場所でもゴミを拾うという行為をせずにはいられない社会規範となる。そこまで浸透して文化、文明を形成する人間の自然の行動となる。
初期の人間は、個の武力によって奴隷を使っていただろう。それが労働力としては最もコストが低い。しかし個人が支配できるのは数十人までの単位である。社会が豊かになり人が増えれば個の暴力で支配する事はできなくなる。集団が肥大化すれば必ずどこかで量の増加が個の武力を超える。
そうなれば異なる行動原理が発生する。その時に、それまで奴隷であった人々が民へと変わる集団を形成する事になるだろう。奴隷が集団になればそれまでの支配を打ち倒す事が可能になる。集団と集団の関係性の中で奴隷は民に変わらなければ集団は維持できない。
が安価な労働力としての奴隷は必要である。人々はそれをどういう基準で解決したか。
人と人を区別するが発生する。世界中のあらゆる地域で集団は巨大かし、人々の集団が国という形を取るようになる。そこに存在する組織としての原理は、人々の自然さを背景に支えられている。
それを無視して成り立つものではない。我々は常に変わりながら、我々によく合う形の組織を形成している。組織は必ずその国の行動原理に支配されている。
我が国も幾度の末法を経験してきた。その時には日本仏教が興き新しい人材が新しい思想を生み出し人々に伝えてきた。精神的支柱が先ずあって、次に幕府が誕生する。天皇という制度が変わらない事が連綿と続く統治の根拠にあり、その器の中で自在な水のように停滞したり活気あふれたりしながら紡いできた歴史がある。
歴史は学ぶものではない。ただそこにある。お寺の立像のように静かに佇んでいる。そこに何を感じるかは今を生きる人だけに出来る。だから目の前にあるものはすべて歴史である。なぜなら我々が生きているから。
なぜ人々は記録に残しておこうと感じたのか。それを語りたいという思いの中に何を残したのか。それが生きる理由になるのか。ならば単に生殖の本能の延長ではないか。
今日も世界中から多くの言語が消えていってると言う。小さな集団の中で何千年も使われていた言語が開発と共に次々と消えてゆく。歴史に僅かな記録しか残らず消えてゆくものがある。その悲しみは、しかし地球という星にいつかは我々も僅かな痕跡しか残さない存在としてこの宇宙から消えてゆく。
だからといってそれを止める事が出来るはずもない。コンピュータ上に残る大量の足跡が記憶装置の中に堆積してゆく。SNSはその最前線にある河川として小さな石が今日も流れている。そこに大量に記録された言葉、写真、感情が地層を作る。それを残してゆくのに地球という場所では小さすぎる。
ウクライナの戦争が示すように明らかに我々はいとも簡単に絶滅と直面する。ロシアが核ミサイルを使ったら我々は絶滅する。なぜならロシアを滅ぼすために全ての核をロシアの大地に叩き込むからだ。それでも生き残れるだろうか。ロシアがこの星の歴史を閉じようとする以上、その存在を許すわけにはいかない。例えその為に絶滅しようとも。だから我々は他の惑星にも目を向ける必要がある。今の我々にそんなに多くの時間は残されていない。
天命によりその命数を使い果たした。そう考える。今日は、そう信じた日であった。
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