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2015年10月12日月曜日

吉田松陰

「いい?戦争を語れば、それはもう、情念、執念、怨念しか残らないのよ。」

数十年後に訪れた松陰神社は、道が広くなり駐車場が整備され観光バスが頻繁に出入りしていた。初めて見た宝物殿は近代的で、素朴な木と土間が匂う家屋だけがあの頃と変わることなく雨に降られ日に照らされている。

近くに寄れば乾いた木が匂う。これはよく知っている。生れるずっと前からそこにあった匂いだ。ここには国を想う心も塾生たちの野望も残っていない。

そこには人を想い人に想われた人が居た。貧富も身分も気にしない。強い心も強靭な思想もいらない。ただ自分の心のままだったろうと思う。

神社の境内で買った耳かきが今もある。そこはとても静かな場所だった。高い木が聳えていた。城下町にひっそりとしっかりと守られてきた。だれもこんなにも有名になるとは思っていなかった。偉人を思っても詰まらない。彼の素朴さを思えば十分だ。

死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

花神の篠田三郎の演技に寅次郎を重ねる。最期の独白と風貌の鬼気迫る映像は如何にもそうであったように見える。それはもちろん虚構である。だが誰も松陰と話た人など残っていないのであるから、彼の実像という曖昧さよりも彼が未だ訴えかける何かと戯れるべきだろう。

松陰は女を知らないと言われるが、それを聞いたらなんと答えるだろう。私は女よりいいものを既に知ってしまったからね。其れを学問と捉える事もできる。もちろん、それを塾生との BL として描いても何ら問題ない。

夢に神人あり。与ふるに一刺を以てす。文に曰く、二十一回猛士と。忽ち覚む。
....
我事にのぞみ、猛を為すことおよそ三たびなり。而して或は罪を獲、或は謗りを取り、今は即ち獄に下り、また為すことは能わず。而も猛の未だ遂げざる者、尚十八回あり。

夢にて私は21回の猛士たれと告げられた。私はこれまで東北脱藩で一回、謗りを受けること一回、下田沖で渡米を試みること1回。これまで3回は狂った行動をして来た。だからあと18回は狂って見せる。

およそ吉田松陰と言う人は狂に殉じたに違いないが、誰も松陰の狂を本気にはしなかった。彼を困り者と思った人は大勢いたが、誰もその危険性を本気にはしなかった。彼の行動を見てさえそうは思わなかった。それに気づいたのはただ井伊直弼いいなおすけがあるのみか。

松陰の存在があの時代の何かを体現している。時代の結晶。あの時代の誰もが持っていた何かを彼は純化した。

山県太華やまがたたいか宇都宮黙霖うつのみやもくりんらとの論争から松陰が至極当然と得たものも今の我々から見れば最も過激なテロリストのそれである。それが松下村塾の門下生にも影響を与えたことは想像に難くない。

だが松陰は教育者であったから誰かをテロリストとして育てたのではない。松下村塾で学んだ者たちの多くが維新の功労者であるのも偶然に過ぎまい。もちろん彼の教育の賜物でもあるまい。そんな都合のいい教育法などありはしない。

生き残ったものが途中で倒れた者たちのことを後世に伝えた。その者たちの多くが松下村塾で学んでいる。ただ友情がある。松陰を想う時とても穏やかである。その印象は内情の激しさに気付かない。穏やかさ、優しさにある友情が松陰のように見える。

今日死を決するの安心は四時の順環に於て得る所あり。けだし彼の禾稼かかを見るに、春種し、夏苗し、秋苅り、冬蔵す。秋冬至れば人皆其の歳功の成るを悦び、酒を造り醴を為り、村野歓声あり。未だ曾て西成に臨んで歳功の終わるを哀しむものを聞かず。

幕末は対立と殺戮の時代であった。誰もが傷つき倒れて行く。椋梨藤太むくなしとうた周布政之助すふまさのすけも闘争に敗れ死んでゆく。

川路聖謨かわじとしあきらが一度は救った命を井伊直弼が死罪と書き改めた時、歴史は決まった。松陰の血が大地に流れた時、歯車は動き始めた。僕たちはその歴史の延長線上にいる。

彼が死罪されたときに幕府は倒しても構わぬという思想が宿る。高杉晋作は功山寺で刀を振り上げ、その業火は長州を超え幕府に達した。討幕は彼らの正義である。

その最初に松陰が立っている様にも見える。彼の激しさは戦争の狂気によく似ている。

天地の大徳、君父の至恩。徳に報ゆるに誠を以てし恩に復するに身を以てす。

この国の歴史は武力を如何に統制してきたかの歴史でもある。優れた官僚制度が長く続いてきた歴史でもある。江戸幕府の安定は武士を侍に生まれ変わらす工夫であった。

平安時代は官僚が貴族であった時代であり、江戸時代は官僚が侍であった時代である。それが明治となり昭和になった。修士が官僚の時代が到来した。

だから海を渡り勝利できると思う程に彼らは戦争を知らなかった。小さな国土では狭い世界しか想像できなかった。

昭和を代表する政治家である東条英機はどうか。そのメンタリティは余りにも幼稚に見え小人物と呼ぶのが相応しい。その程度の人物が首相を務めねばらなぬ程になぜ人材は枯渇したのか。

狭い国土の戦争しか知らぬ者が中国大陸に進出する。確かに日本という自然は決して優しくはない。だがそれだけでは足りぬ。日本海の海戦しか知らぬ者が太平洋に進む。

広さというものへの想像力の欠如。敵が機甲師団を繰り出した時に歩兵しかおらぬ軍隊。地平線の向こうにも陸地が続くなど夢にも思わぬ国家があった。

僕は忠義をするつもり、きみたちは功業をなすつもり。

高杉晋作はクーデターを起こしたのではない。皇国を倒したのでもない。天命に殉じようとしたのだ。

官軍であれ賊軍であれ日本というフレームを破壊したものはいなかった。攘夷を巡っては血を見たが尊王という基本思想からはみ出した者は皆無であった。誰も国を滅ぼす気も盗る気もなかった。日本を治めるには官軍になること。そういう思想が発見された。

日本の境界線は天皇の境界線と同じになる。明治維新は天皇の再発見という事件だ。それ以外のいずれも日本を定義できぬ。そういう発見であった。

もし天皇が消えてしまえば日本は消失する。そこに誰が残ろうと関係ない。時間や名前や血統が繋がっていようとも断絶する。

何がこの国を定義しているのか。何があれば日本と呼べるのか。失われた時に消えるもの。亡国とはそういうものである。

吾れ行年三十、一事成ることなくして死して禾稼かかの未だ秀でず実らざるに以たれば惜しむべきに似たり。然れども義卿の身を以て云へば、是れ亦秀実の時なり、何ぞ必ずしも哀しまん。何となれば人寿は定まりなし、禾稼かかの必ず四時を経る如きに非ず。十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり。二十は自ら二十の四時あり。三十は自ら三十の四時あり。五十、百は自ら五十、百の四時あり。

斉しく命に達せずとす。義卿三十、四時已に備はる、亦秀で亦実る。其のしいなたると其の粟たると吾が知る所に非ず。若し同志の士其の微哀を憐み継紹けいしょうの人あらば、乃ち後来の種子未だ絶えず、自ら禾稼かかの有年に恥ざるなり。同志其れ是れを思慮せよ。

神話を持たない国家など存在しない。小さなコミュニティや村落でさえ小さな神話を持とうとする。人間のコミュニティは神話を必要としている。家族は祖先や親戚を祭る、国家は歴史を記述する。神話がなければ0から1が産み落とせないのではないか。

人間は神話を共有する。それが生存を肯定するからだ。存在を生み出すものが神でなければ、なぜここに生まれてきたのか誰にも分らない。そして生まれてきた以上、これを否定などできない。生命とはそういうものだ。

愚かなる 吾れをも友と めづ人は わがとも友と めでよ人々

科学では生まれてくる不思議さに答えられない。それでも生まれてきた者は人間にならなければならない。そのために神話が人間となる物語を提供する。

実存する天皇はその父を辿ってゆけば記紀の世界まで辿り着く。例えキノドンの時代まで遡ろうと途切れることなく続いてきた命の系統樹が目の前にいる。

目の前のリアリティ。科学が DNA を見つけるずっと前からあるもの。陰謀や闘争に溢れる歴史の中でずっと残ってきたもの。国外の勢力に打倒されることなく支えてきたもの。

この国は近代国家の誕生よりずっと古い。近代国家の理念が消滅しても残るものがある。信仰や思想さえ不要なもの。命さえ続けばそれで十分だ。

七たびも 生きかえりつつ 夷をぞ はらはんこころ 吾れ忘れめや

ヨーロッパで生まれた17世紀の理念が近代国家は誕生させた。それはフランス革命を通して広がりアメリカ合衆国を独立させる。

アジアの建国はそれよりずっと前の中国の思想家たちの理念に基づき形成された。彼らは紀元前にはその仕事を完了させている。アジアにはアジアの理念がある。それが大航海時代を経た19世紀にアジアで対峙した。

アジアの伝統が破壊され強制的に西洋をダウンロードした国家はアイデンティティに苦しんでいるのかも知れぬ。神話を持たぬ国々は日本に先勝したと未だに謂わねばならぬほどに傷ついているようにも見える。近代は戦争に勝つ事でしか得られぬ何かがあるらしい。

恐らく独立という考えは西洋のオリジナルである。東洋の独立とは全く異にする概念だと思う。これに対抗するには近代化するしかないと最初に決断したのは日本であった。

呼びだしの 声まつ外に 今の世に 待つべき事の なかりけるかな

西洋の独立とは何か。これが帝国主義の独立であった点に注意が必要だ。彼らは独立を都合よく使った。それが帝国主義には必要ではなかったのか。帝国主義は資本主義に駆逐される。長い歴史の中でキリストの顔も随分と変わったろう。西洋の神は近代思想が再発明したのではないか。

近代科学は思想を生み出す。新しい世界観がどう神に影響を与えたか。神という仮定を取り除いても矛盾はない。これが科学だ。だから国家から神話や神が除外されるのは自然であろう。自然状態にある人間とは統治への補助線である。こうして権力から権威が完全に分離したのである。

基本的人権は、統治される側の権利であり、権力は人と人の関係を規定する。そこに神は必要はない。神は個人の良心と対峙する存在となり統治とは関係なくなる。

教会という権威、王という権力構造が、近代国家ではキリスト教という権威と近代思想という権力に置き換わる。権力は国家が保有する。権威を支えてきたものたちが消え始めている。

体は私なり、心は公なり。私を役して公に殉う者を大人と為し、公を役して私に殉う者を小人と為す。

日本は権威を天皇がになう。明治の元勲たちも、近代国家における権威と権力の分離は知っていたがそれは統治機構としての見せかけの構造として採用した。既に国造りは終えている日本では、国としての理念も思想も必要でなかった。ただ天皇という統治を配置すれば良かった。

天皇さえ居れば他の星に移住しても日本である。このような強靭な国家観と比べ、それを支える実存の天皇は極めて脆弱な存在である。それに無頓着であることがこの国の信仰ではないか。

それほどこの幻想は強力である。もし後継者を失ってしまえばどうなるのか。この問いを我々が問うことはない。

もし失ってしまえば何をもって日本と呼ぶのか。もしこれが不安を生むなら、それは何かが間違えている。その不安を追究しなければならないはずだ。既に終わっているのか。夢は覚めていたのか。

心甚だ急ぎ、飛ぶが如し、飛ぶが如し
瀬能吉次郎宛の手紙より

講義の時に顔に止まった蚊を叩いたら血みどろになるほど殴られた。玉木文之進の言。頬が痒いのは私事である。公を学んでいる時に私を優先させては公が立たぬ。

後に松陰の妹に介錯されるこの叔父の恐らく特別な考えではなかったろう。死は私に通ずる。公に死はありえない。ゆえに公の前では死を顧みぬ。

公に準じるには私を捧げる。理念を妨げるのは常に物理的制約である。ならば物理的制約の前に理念が敗北してもよいのか。もし命を投じることで達成できるならば、顧みるべきではない。

これを推し進めればたとえ理念が達成できぬとも命を差し出すのに躊躇すべきではないと言う狂信に至る。

そうして支えた公の価値を誰が証明するのか。それが犬死ではないと誰が謂うのか。誰も躊躇せずに進んでゆく。神話があるから出来たなど疑わしい。それが戦争に負けるまで続いた。生きてさえ居ればそれで良い。そう言えるのは戦後である。

権力公(生)王(人)国家資本
権威私(死)人間性

ここに異なる考えがある。

生命は空気を作り替え、4億年前に陸上に進出した。その揺るがない意志で鳥は空を飛び、微生物は深海深くまで潜る。この拡大の先に大気圏がある。

どう生命が仕組みを変えても突破できそうにない。幾つかの生物は地球に衝突する小惑星に吹き上げられる岩石とともに宇宙へ進出できたかも知れない。だがそれでは不十分だ。

この地球の生命を宇宙に進出させる使命がある。生命はその始まりから自らの生存領域を拡大してきたのだ。この流れの先端に人類が立っている。人類ならば宇宙へと進出できる。生命の生存圏を拡大できる。

別に人類だけが宇宙に進出する必要はない、人類は先駆けで終わっても構わない。隣の恒星に辿り着けるのが人間である必要性もない。最終的にこの地球の生命が辿り着き繁殖できればいい。あとはその星で勝手に進化すればいいのだ。

生命進化宇宙

権力でも権威も人間だけの話である。人間には生命の拡大に果たすべき役割がある。

諸君、狂いたまえ。

もし松陰が安政の大獄を生きのびていたらどうなっていたであろう。戦争も理屈ばかりで実践は下手そうだ。恐らく新しい政府でも使い道はあるまい。

純粋な思想家など建国の時には不要だ。火打石には使い時というものがある。次第に困った人になりそうだけれどど長州人は誰も無碍にできない。木戸も井上も伊藤も山縣もみな困ってしまう。だが安心なのは西郷とは違って戦争上手ではないし反乱も起こせそうにない。

萩で子供たちに学問を教えている姿が想像される。一回くらいはアメリカに渡ったであろうか。

乃木希典もまた玉木文之進の薫陶を受けた。同じものを受け継ぎそれを後生大事に抱えている感じがする。

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