西暦2050年代。突如現れた謎の組織ギャラクターは全世界に宣戦布告を行い、わずか17日で地球の半分を占領した。人類は不思議な結晶体である石に人類絶滅阻止をかけることになり、それを受けて国際科学技術庁の南部博士は、約800万人に1人といわれるその石の能力を引き出せる適合者探しを開始する。南部博士は適合者5人を探し出した上で施設に強制収容し、究極の兵器になるよう訓練を行う。そして究極の兵器に変身した5人はガッチャマンと名乗り、ギャラクターに立ち向かうのであった。
本作への反証
科学忍者に不思議な石は不思議だ。もちろん科学にも不思議はある。不思議な現象はある。しかし科学に不思議な石はない。科学も未知の力は扱う。そのために無知から人を不幸にする事もある。
もし不思議な石を原子力の比喩として使っているのならやはりおかしい。科学が不思議なまま使う事はない。説明できなくとも実験により何度も確かめられている。それを説明できる数式も組み立てられている。それが科学というものだ。
科学忍者はそういうものの上にあるはずである。原作は科学の力とそれが描く未来に希望が持てた時代であろう。それを踏まえた上で、人間が制御しきれない力をなぜ扱ったのか、は物語のテーマになりうる。
物語の位置付け、方針、意義、課題
科学を題材にするならば、この時代に福島第一原子力発電所事故の問題は避けて通れまい。
これを直接的に描くならば原子力発電所事故と対峙する科学忍者隊のストーリーが思い付く。ギャラクターが原子力発電所にテロを仕掛け、これを阻止しようとする警察や自衛隊。それが突破された時に科学忍者隊が登場する。
ここで戦いをメインにすればアクション映画になる。もしギャラクターを阻止できず原子力発電所が暴走すれば別のストーリーも描ける。そこで科学忍者隊がどうコミットするかにより幾つもの描き方が出来る。暴走に対して科学忍者隊も無力となり、そこに職員たちが決死の突入をするというストーリーでも良い。
汚染された地域に対する物語も思い付く。
放射能に汚染された地区にギャラクターの基地があり、そこに潜入する物語だ。汚染後の世界観を背景として描く。科学忍者隊は汚染を止められなかった苦い経験を絡めることも出来る。
例えば、山口県で原子力発電所事故が起きたら。九州と本州は物理的に分裂される。九州と本州を結ぶ交通機関は高速道路は使用不能になり、山陽新幹線は岡山を終点となり、残されたものは船と航空機しかない。
九州は日本国でありながら独立性の高い自治国として存在させ、山口、広島、島根、愛媛の一帯は放棄されている。瀬戸内海の汚染は酷く、沿岸部は農業、漁業ともに壊滅状態にある。その風景は、木々が生え野生動物の楽園のような世界だ。ただ人のいない世界だ。
そこには政府に反対する人々や反社会的勢力の人々、政府から見放された人が新しいコミュニティを作り出している。そこにギャラクターの基地がある。
この基地を調査するために科学忍者隊が出動する。
この世界観は、科学忍者隊ガッチャマンでなくとも、破裏拳ポリマー、でも良い。
プロット
原子力発電の事故が発生する。地震かテロか。
それから数年後・・・
放棄された地域に侵入した科学忍者隊のエージェントのひとりがぼろぼろになって戻ってくる。
そこにギャラクターの新しい基地があることを突き止めたのだ。
これを受けて出動を要請された科学忍者隊。
彼らが侵入したその地区で見たものは。
政府から見捨てられた人々の存在を始めて知る忍者隊。
その者達との対立や和解を通してギャラクターの基地へ侵入する。
彼らの目的とは何か、そこで何をしようとしているのか。
物語の肝はギャラクターの設定に全てかかってくる。
敵の定義
味方と敵の対立が物語の主軸である。争いとは両者の間に問題がある事を明示する。換言すれば、問題を解決するアプローチが物語と言える。
その解決方法は多くはニーチェが指摘したように悲劇か喜劇に集約する。突き詰めれば理性と感情の激突である。義理と人情と言ってもいい。ひとつの理解としては、悲劇は理性の勝利であり、喜劇は感情の勝利とする。どちらに転ぶかよりも、それを選択する意志の存在が重要で、物語は選択の過程とも言える。
それによって観客に快感を与えるためには『流す』が必須であり、それは敵を撃滅したり、和解したり、突き詰めれば、なぜそれを選択したか、それを納得させる理由はなにか、そこに機智に富んだ人間性はあるか、を観客は望むのであり、理性と感情を両立させつつ選択により問題を解決する事象が必要なのである。
それを満たすために敵の描き方が大変に重要になる。何故なら選択と意思は敵の描き方で決定する。逆に言えば物語は敵の定義づけでおおかた決定してしまう。
- 憎しみの相手として描き、倒す事でカタルシスを得る。
- 巨悪として描き、倒す事で正義を再確認する。
- 問題の根源として描き、対決を問題解決とする。
- 宇宙人や怪獣のように最期まで理解不能な相手として描く。
- 憎しみの相手は、本当に憎むべき相手であったのか。
- 巨悪と思われた相手の主張も聞くべきではないのか。
- 問題の根源と見做す事が、本当に問題解決になるのか。
- なんらかのコミュニケーションにより理解できる相手として描く。
プロット2
ガッチャマンの敵であるベルク・カッツェは元科学忍者隊の一員である (総裁Xは登場させない)。彼はかつて科学忍者隊の一員として原子力発電所事故に動員されたが政府の裏切りにより事故を誘発させていまった苦い過去を持つ。政府の裏切りを知り政府に敵対する勢力として、また見捨てられた土地の人々を救済する手段としてギャラクターを創設した。
ギャラクターの資本は、彼が持っている情報で政府を恐喝して得た資金、その運用益、更には見捨てられた土地で栽培した麻薬である。
政府はベルク・カッツェの力が巨大化する事を危惧し、また彼の持つ情報を闇に葬るためガッチャマンの出動を要請した。この裏事情も知る南部博士は、最初は難色を示していたがある政治家との会談後にガッチャマンを出動させる決意をする。南部博士が取り交わした密約とは?彼がガッチャマンに託した真の目的とは。
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