論語雍也篇六之十
冉求曰(冉求曰く)
非不說子之道(子の道を説ばざるに非ず)
力不足也(力足らざる也)
子曰(子曰く)
力不足者(力足らざる者)
中道而廃(中道にしてこれを廃す)
今女画(いま汝画れり)
子の説く道に共感できないのは私の力が足りないせいです。
力が足らないからと、道半ばにして諦める事はよくある事だ。
だがよく考えれば誰だって途中で寿命が尽きるものだ。それで初めて力が足りなかったと言える訳だ。
寿命が尽きたなら、力が及ばなかったと言っても妥当だろう。逆に言えば、それ以外で力が不足していたという事はあり得ない。
とはいえ人生を生きていて、ひとつの事にばかりこだわるのも善とは言えない。合う合わないもあるだろう。その時には、途中で道を変える、他の方面にも行ってみる、別を模索するという事がある。
それらは全て力が足りないからと言うべきか。どうも私はそうは思わない。そんな事を言い出せば、全て自分の力不足が理由になってしまうではないか。努力が足りないから辞めれないとなってしまうではないか。そう無理して続ける事はない。
ましてその理由を力が足りなかったからと言ってしまえば、それは自分を見限った事になる。それはその対象と決別するだけの話ではない。自分自身をも見限る事になる。
力が足りない事を止める理由にしてはいけないよ。若かったり老いたり病になったり不運もある。自分より優れた人がいて劣等感にさいなまれる時もある。その全てで出来ない理由を自分にしてはいけないよ。
力不足と言いたいなら寿命が来るまで頑張ってみるかい。その時にも力の足りなさと感じたのなら、悪いのは寿命が短い事になってしまうだろう。では時間が足りない事が力が足りないと感じる理由なら、限られた人生をどう使うかという問題に置き換わるだろう。
訳
いいかい、生きている限り、力不足はありえないよ。
力不足を理由に去れば、それは君の心にずっと残る。君は負けた負い目を拭えなくなる。故に、場所を変えたいならばその理由をよく考えなさい。君はそれを見限ったのだ、または合わないと決断したのだ。
それは力が足りないからではないだろう。別の理由をきちんと見つけたまへ。そうしないといつかここへ戻ってくる事も出来なくなるよ。
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