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2024年6月2日日曜日

イクチオステガ(Ichthyostega)

四肢歩行

最初期の陸上四肢動物の1種、イクチオステガ(Ichthyostega)は、陸上での歩行は苦手だったらしい。

化石を解析すれば肢がどのように付き、骨の強度はどの程度かは推測できる。上手く痕跡が残っていれば筋肉量も計算できる。全身骨格なら体重も推定できる。骨格の強度と体重からどの程度の速度で歩行が可能かは現生生物の数値に係数を掛けてシミュレーションすればいい。

その比較対象としてオオサンショウウオを選ぶのは自然だろう。収斂進化として似た生態に似た形態を持つのは自然だが最初期に肢を必要とした環境と現在が同じとまでは言えない。同じ形質が異なる環境にも適用できる汎用性の高さがあったとしても不思議はない。それでも違う部分は生まれる筈で、その違いは細部に宿るだろう。

前肢、後肢の出現が四肢歩行を可能とした。人類もその系譜に位置する。その一方で四肢獲得後に進化を進めて体を引きずるように歩く鰭脚類(あざらしなど)、歩行を完全に放棄した鯨類なども存在する。

ムツゴロウはほぼ陸地で生息するが陸上動物には含めない。オオサンショウウオは水生である。その体躯は水の浮力があるから巨大化できたはずで、餌も水辺よりも水中の方が豊富と考えられる。水地に住む生物は陸と水の境界線にいるので、陸生、水生のどちらかとは一概には言えない。

ミミズなどは地中に最適化したため地上では這うようにしか移動できない。ヒルなども良く移動するが四肢は持たない。クマムシは八本の足を持つ。ホウボウは海底を歩くが、四肢ではないのので少し仲間外れである。

ヘラ状の鰭から棒状の肢に進化したのには、水の抵抗と大気の抵抗の違いと思われる。だが、それらだけが移動の方法ではない。ヘラ状の鰭から棒状の肢へと進化した種がいる。それを促進した環境はどういうもの、どのような順序だったのだろうか。

シーラカンス

シーラカンスは水中に棲むが腕の様に太い胸鰭を獲得した。卵胎生でもある。一体、何があったのか。陸に上がるにしては体が平面ではない。しかし、あんこうのような体躯のシーラカンスも昔は居たそうである。

なぜ深海に住処を変えても太い鰭を維持しているのか。一般に太い鰭を維持するのにはエネルギーを多く必要とする。無駄な負担なら細くなりそうなものである。しかしそうはなっていない。という事は淘汰圧に晒されなかったか、何かが有利なのだろう。

シーラカンスは古い形質を残す生きた化石でもあるが、通常の進化はゆっくりとした時間の流れを許さない。世代毎に常に淘汰圧か掛かり取捨選択が行われている。それがどちらにも振れないまま生存してきた。もしかしたら形を変える形質が弱い可能性もある。

しかしどこかの時点で最も地上に近づいた種のひとつである事は確かと思う。地上にあがろうと進化したのになぜか途中で止めた。その後は深海に居住を変えた。進化の時計を止めたのは、いつかは再び陸上に向かうチャンスを伺っているからではないか、そう考えてもみたくなる。もちろん、遺伝子は個体の自在になるものではない。

シーラカンスの体形は川魚に近い気がする。尾鰭にくびれがないので振るのには適してないと感じる。これでは高速は出そうにない。

陸上の近くで太い腕が欲しくなるのはどういうケースか。シーラカンスに鰭で海底を這う習性はないようである。その為に太くした訳ではなさそうである。岩の間を動くのに腕が太い方が有利という事はあるかも知れないが。

筋力を太くする事で何かを獲得した。現生の魚類を見る限り、高速に移動するには筋肉より流線形が重要と思える。水の抵抗に打ち勝つには何より体形である。

しかし現生の魚類もみなが流線形という訳ではない。それぞれのスタイルに適した形と有利でも不利でもない形で生きている。マンボウ、竜の落とし子、どの種さえも空想では思いつかない造形美で挑む生き物たち。

太い腕が必要なのは何故だろう。同時代にも尾鰭の前を細くし遊泳に適した魚類も居たから、くびれのない尾鰭にはそれ以外の適用があったと考える方が妥当だ。それは遊泳への特化ではないと思う。最初はその方向だとしても。という事で、この体形は水以外の何かに適用したものと考えられる。

海から河へ、河から陸へ

河は海よりずっと陸に近い。先ずナトリウムがない。動物はナトリウムの少ない環境で摂取するという課題を解決しなければならない。植物はナトリウムを早めに捨てた。

陸上進出に明け暮れていた古生代の植物がそうであったかどうかは知らないが、川岸にはとても多くの水から陸へ進出しようとする植物、昆虫などが居た。それらの生物が陸上進出の第一歩として河に適用する。河で生存できない様では陸上への進出など覚束ない。この段階を経て陸上へと進んだ。

という事は当時の河の風景を思い浮かべる事が取っ掛かりという事になる。先ず、そこはどのような植物群で埋もれていたか。

河の様態は何種類か考えられる。流れの速さ、早い、ゆったり。河幅の広い、狭い。水量の多い、少ない。浅い、深い。川底の岩、砂、泥の差。生物にとってゆったりと流れで泥で濁ったような河、大地のミネラルが溶けている河が望ましいと思う。

泳ぐのに達者な方が有利な場所では陸上生物は生まれない。その環境での勝者はそこに生きればいいから。その環境で負けた生物グループが他の場所へ移る。そこで進化を進める。

蛇行し沼地を作りながら湿地帯を生んだ河、半水半地の状態で、沼地、泥、干潟、湿地を形成し、そこに豊かな植物相のある場所でなら泳げなくとも競争に負ける事はない。

水中での速力を得る為に鰭を太くする方向に進化した生物群が居た。それらは泳ぎの競争には負けたが、筋肉の太い鰭は、別の活用が出来た。とはいえ、それを水中で這うのに使った訳ではなさそうである。水中には浮力があるから。

ムツゴロウが鰭を使い太い肢を持たないのは、干潟では足の形では沈み込むからであろう。それよりも平たい鰭の方が有利だからと考えられる。

すると、泥でもなく、川底を這うでもなく、鰭の太い生物群が巧みに生きれる場所があったという事になる。例えば、浅瀬。急流。下は石などの固形物でそういう場所では泳ぐよりも岩に鰭を引っかけて移動する魚類が居た、と仮定する。

川は台風などで増水するだろうから海まで流されては困る。そこで増水時にはどこかに退避する。それが陸上であったと想像してみる。

これなら、四肢を持つ水中生物は、浅瀬、下は石などの固形物、という環境に適用した肢を持つ魚類が、雨が降り始めると岩の上や川岸に体を這わせて避難する。濁った川から数メートルあがった場所で洪水が引くまでゆっくりと休んでいる。そういう景色が浮かんでくる。

雨に濡れ川に少し体を付けて乾燥を防いだ。四肢は上陸する為ではなく浅瀬で生きる為に発達した。それが何世代も続くうち陸上へより適用した子孫が生まれてきた。

しかしこれらの浅瀬でどのような餌を食べていたのだろうか、と考えると、這って動きが遅いグループでは不利な気がする。今でも浅瀬は魚の活動する領域である。

もうひとつの川岸

浅瀬にびっしりと水草が生い茂っている場所ならどうだろう。泳ぐには水草が邪魔である。そこでは鰭を使って水草を掻きわける。そういう種が居たとする。

水草が密のため泳ぎの上手い魚類でも優位さは失われる。そういう場所では植物を掻き分けながら移動しても十分に競争が成立する。

浅瀬には違いなく、水草のため水は停滞気味であったろうから干上がる事も良くあっただろう。そういう場合は鰭を使って隣の沼地に移動できる方が生き残る可能性が高かった。水草を掻きわける太い鰭はこの場合も強みになった。

太い鰭を使って草をかき分ける魚類がいた。これらはシーラカンスのような太い鰭の魚類から進化した。

水草の中で生きるなら太い鰭が役に立つ。掻き分けて移動するうちに団扇状の鰭よりも鰭の先まで太くなって、爪状の先端で引っ掛けて動ける方がより有利となっただろう。背鰭も尾鰭も移動には使わないので退化してゆく。そこには水草の密林の中を鰭で掻き分けて進む魚たちの風景がある。

その先で、水草が陸上に進出するのを追いかけるように、水草と供に陸上へ向かって適用してゆく魚類がいた。既に虫たちは上陸していた。餌には困らない。鰭は肢へと変わってゆく。水草の間をぬってゆく生活から水草の上を這い周る生活へと変わってゆく。

そして水草から抜け出し、沼地で生きてゆく魚たちが生まれる。肺を持ち、泥の中を這い、水辺に特化した体を獲得する。

既に魚とは呼べない彼女/彼らが両棲類へと進化してゆく。更に乾燥に強い体を獲得するために頑丈な皮膚と硬い殻の卵か胎生を獲得したものたちが双弓類、単弓類へと進化していった。

シーラカンスは胎生であった。産卵する種と胎生する種のどちらもが陸上を目指したと思うのである。

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