収奪的制度と包括的制度の違いに焦点を当てて歴史を振り返る。日本に対する記述は正しいとは思えない。東洋の政治理念に対する理解不足があるように思われる。もちろん、こういう誤解や誤読によって導かれた結論には警戒する必要もあろう。
だから、それ以外の地域、著者が詳しいであろうヨーロッパ、アフリカ、南米、ヨーロッパの影響を強く受けた地域、に関する主張も鵜呑みにできない。
それでも、著者たちの視点の確からしさは十分に堪能できる。そして、収奪的制度、包括的制度の違いが、文化や歴史の必然ではなく、偶発的なものであり、それが決定的なまでに経済の発展性に影響を与える、という彼らの直感は、少々の間違いなど無視できるほどに、否応なく自分たちの国の現状について考えさせる。その行く末を思わずにはいられなくする。
包括的制度はとても簡単な人間理解に立脚している。人にインセンティブを与えれば、勝手に経済活動を開始する。黙っていても人々は自発的に経済活動に参加する。すると多くのイノベーションが発生する。勤勉に勉強し、更なる工夫、よりよい効率、新しい視点、時に邪悪さも含みながら、その地域に豊饒をもたらす。誰も命じてなくてよい。参加する人が多ければ多いほどこの働きは活発になる。
それは単にお金を払えばいいというだけの問題ではない。自由がいる。発想の自由、活動の自由、継続の自由、権利の自由。人々の可能性を重視するならば、皮膚の色、男女、民族、階級、出自などは規制する理由にならない。総和を小さくするのは不利である。パイを大きくするには小麦粉を増やすしかない。より多くの人に参加を求め、より多くの自由を促し、大小様々な創造性に託す。これが包括的制度である。
その反例に、収奪的制度における鉄道敷設反対が挙げられる。鉄道に反対するのはそれ以前の既得権益者たちだ。彼らの職を守る、彼らの権益を保護する。そうすると鉄道というイノベーションは生まれない。収奪的制度では、イノベーションとそれ以外の区別ができない。だから優先すべきものが他になる。
豊かになれば、市場に参加する者が増える。貧しくなれば、市場から簒奪しようとする者が現れる。短期的な利益を最大限にし、その間に稼げるだけ稼ごうとする者たちが出現する。これは社会の活力を失わせ停滞する道だ。残り火を奪い合う競争しか発生しない。
近代の包括的制度はイギリスで生まれた。名誉革命が絶対王政から立憲君主にシフトし、彼らは何回かの危機も回避し、包括的制度のまま産業革命へ突入する。
もちろん、それで市民が平等になったのではない。貧富の格差がなくなったのでもない。産業革命期の労働者の平均寿命は20才にも満たないと言われている。そのような状況がマルクスに資本論を書かせ、ロバート・オウエンらは工場法を誕生させた。
イギリスは包括的制度を保ち続けた。それが大英帝国に繁栄をもたらす。そのイギリスも WW2 後は世界の中心ではいられなかった。その後の中心であるアメリカも今やその座から降りようとしているかのようだ。一体何が世界の覇権を決定づけるのだろう。
次に中心となる国家はどこか。その国家も包括的制度の国であろうか。それとも収奪的制度の国だろうか。本書は収奪的制度の国家が繁栄しないとは主張していない。ただ長続きはしない(100~300年)と主張している。
これから世界で壮大な社会実験が始まる。中国は共産党による収奪的制度の国に見える。だが経済発展や技術革新はまるで包括的制度の国にも見える。中国がこれだけの力を得たのはどうしてか。
中国経済に限れば、包括的制度が働きインセンティブが十分に機能しているように見える。インターネットの技術革新に最も鋭敏に反応している。だが富を得たものは最後は必ず政治と対決する。共産党もそれを十分に警戒しているはずだ。もし彼らが包括的制度を選べば政治が折れる、もし収奪的制度が勝利すれば経済は停滞する。
世界的にみればグローバル企業が国家を超える新しいコミュニティを誕生させてもおかしくはない。国家の衰退を超えて企業が生き残るためには、もし地域の問題が解決できないなら自分たちが乗り出すしかない。経済活動に不利な地域からは移るしかない。ならば国家に変わって企業が統治する地域が出現しても何ら不思議はあるまい。その前に人間はAIによって全員が企業から追い出されているかも知れないが。
インセンティブ、市場への参加、自由な競争、規制撤廃。こういう言葉が乱立した時期が日本にもあった。それは本当に包括的制度への移行であったのか。談合は悪である、既得権益はイノベーションを妨げる障壁である。たしかにそれは包括的制度に見えた。その改革は正しいように思われた。
しかし談合はそれだけの話ではなかった。持ち回りで仕事を回すのは安全保障として機能していた。参加する企業には信用がある。だから査定するコストは小さくて済む。誰かが失敗しても速やかにそれを肩代わりするコミュニティとしての役割も担っていた。地域での強靭な経済活動の担い手、そして市場を支える役割を軽視してはならなかった。
人間のコミュニティには二種類ある。入口の障壁が高いものと、低いものだ。高い障壁は入るのは難しいが入れば信用によって動きやすくなる。だから経済活動に強い競争はないが、将来設計がしやすく、その代わり、互いに我慢しなければならない状況も経験する。
一方で障壁が低い場合は、自由が武器になる。どう参加しようが、どう競争しようが自由である。その代わり、結果に対する責任は重くなる。犯罪に対する罰も重くなるし、不正などに対するペナルティも厳しい。
これらふたつのコミュニティでは、規制と罰則の総和は同じだ。規制で事前に防止するか、罰則で事後に決着をつけるかの違いだけである。それぞれに長所もあれば欠点もある。どのような場合にも通用する万能の方法などない。日本は、基本的に障壁の高いコミュニティであったし、アメリカは障壁の低いコミュニティであった。
もちろん、イノベーションが必要な業界は障壁の低い包括的制度が望ましい。
イノベーションを生むために規制撤廃するのではない。イノベーションが起きつつあるから規制撤廃が必要なのだ。順序を逆にしてはならない。
それを狡猾に利用した悪者が、この国を変えた。イノベーションの必要のない業界に改革を要求をし、常に新しく起こり、激しく競争し、そして様々な理由で退場するのが望ましい地域でもないのにそれを導入した。
なのに規制は撤廃したが罰則は強化しなかった。やったもの勝ちで責任を取る必要もない。そのやり方で古い既得権益を排除し、自分たちが新しい既得権益者へとなる道を作った。そのために法制度も整備した。これが彼が口にした改革の正体である。
いつの時代も、富を合法的に収奪しようとする者はいる。自分たちの利益のために国を作り替える者もいる。己の利益を追求するために改革を声高に唱える者はいる。収奪者もまた改革者の顔をしたがるものである。
本書には、収奪的制度のために発展できなかった類例がたくさん載っている。包括的制度で発展したイギリス、アメリカ、ボツワナなどの類例もある。セレツェ・カーマの話には感動する。しかし、包括的制度から収奪的制度に変わり没落した事例はない。
日本がその最初にならなければよいのだが。