巻四泰伯第八之九
子曰(子曰わく)
民可使由之(民はこれによらしむべし)
不可使知之(これを知らしむべからず)
「これに
由らしむ」という言葉には、何となくだが、大樹の近くに集まる感じがする。
側に居るのが良い。そう自発的に思わせれば、人はそこに集まるものだ。難民が向かう先だってそういう国に決まっている。
では「知らしむべからず」はどういう意味か。知る必要がない、教えてはならない、理解できない、本当にそうであるか。知る事についてこれ程よく考えた人が、教えなくていいなどと簡単に言い切るはずがない。
ならば、どういう意味か、と一歩踏み込んでみるには、孔子は「知る」と「統治」について、考え抜いた人に違いないという直感だけが頼りだ。孔子は、どういうつもりで「知らしむべからず」と言ったのか。
そもそも、「由る」時点で、民が無知であるはずがない。彼らにも理解する力はある。だから政治に従う事もできるし、得心するからこそ国に留まりもする、訪れもする。もしダメだと思えば逃げてゆく。為政者にとって、民が集まってくるのがひとつの理想ではないか。ここにアジアの統治の理想がある。
そうであるならわざわざ教える必要もない。教えようとしてもならない、知らせる必要もない。彼らに見せて彼らに判断させればそれで十分ではないか。それを良き統治と思うならば、必ず彼/彼女らはこの国に留まるであろう。
人々からの支持を得れば、その話は天の下であまねく広がるに違いない。その話を聞いた人々は自然とここに由ってくる。孔子は水の流れを見ながら思索を重ねたような所がある。これは広大な大地を大河が流れる風景から齎らされた思想ではないか。
高い所から低い方へ水は流れる。民もまた同じだ。人々が由らしむのは自発的だ。強制しても騙しても仕方がない。
民を従わせることはできるが、従うべき理由を理解させることは難しい。民には理解できない、理解させる必要もない、そういう解釈にはどうも同意する気になれない。
民は従えばいい、理解する必要などない、このような理解では面白くないと思う。所が、この解釈は乱暴に見えて、アジアの統治の理想ときちんと重なる。
日出而作(日が出れば稲作をし)
日入而息(日が沈めば家に帰って休む)
鑿井而飲(井戸を掘って水を飲み)
耕田而食(田畑を耕して飯を食む)
帝力何有於我哉(帝の何が私の人生と関係しているのか)
「従う」理想を追求すれば、そのような意識を民にさせない事に尽きる。それが統治の理想である。従わされていると思っている限り、その統治には何か欠陥がある。
ならば、民は「由らしむ」べきだが、民に「由らされている」と意識させるのは誤りとなる。帝がどうしたって?おらの生活とは何も関係ないそ。こう民に謂わせる状況こそ、民を由らしめているのである。そして知らしめていない状況と言えるのではないか。
堯舜の理想を、江戸時代の為政者たちが知らなかったはずがない。民が幸せに生きてゆくのに、究極的には政治で何が行われているかを知る必要はない。知らせる必要もない。
では、これを歌った老百姓は、帝の存在を知らない者であろうか。そうとは思わない。彼は日常生活の中で帝について歌っていたのである。彼は十分に意図的であったはずだ。もしこの百姓がこの歌を帝に聞かせるために歌ったとすれば。それは民の理想を語った事になる。
このように生きて行けるなら私たちはなんと幸せであろうか。そう歌うこの百姓に現実の苦しみがなかったはずもない。それでも帝に自分の思いを伝えたかった。彼の中に感謝の気持ちがあったと思うのは不自然であろうか。彼は知っていたはずなのである。
私は特に統治について何かを知りたいとは思いません。もしそれが私たちに叶うなら集まりしょう。もし叶わないものなら去ってゆくだけの存在です。私はあなたたちの理想に集うのではありません。あなた方がもたらすこの世界に生きて、それを決めるのです。
孔子は知るということについて考え抜いた人だ。知ろうとする事を止められない事もよく知っていた。その人が民の知ろうとする力を軽んじたりするものか。
民は自然と集まるものだ。どうして集まるように説得などできようか。
民主主義とはかなり違う思想に見えるかも知れない。しかしその底流は今の価値観と何ら変わることもない。