石ノ森章太郎が描くヒーローを哀しみが支えている。その哀しみは正義も悪も関係なく。
キカイダーの孤独、ハカイダーの哀しみ。これさえ描ければ作品は成立する。キカイダーが孤独なのは、ただ一人、人間の心を持たないから。ハカイダーが哀しいのは、ただ一人、人間の姿ではないから。この対比が本作品の面白さではないか。
仮面ライダーも同様、物語には悲しさの通奏低音が流れている。その哀しみとは何だろう。
自分の意に反して戦闘用の人造人間に改造された哀しみである。仮面ライダーのモデルはバッタである。カフカの変身ではないが、果たして虫になることは人間のどのような悲しみだろうか。輪廻転生で虫に生まれ変わることは人間のどのような悲しみであろうか。
ショッカーの技術者たちはバッタを研究し尽くしてその能力を仮面ライダーに移植した。バッタのジャンプ力がライダーキックの破壊力を生み出す。この必殺技が授けられた仮面ライダーは本来は従順なショッカーの戦闘マシーンとして世界征服の一翼を担うはずであった。
ショッカーの改造人間は戦闘に不要な機能、器官は捨てたと考えるのが妥当である。例えば消化器官は必要最低限でよい。バッタであるなら雑草からエネルギーを取り出せば十分である。
味覚など必要ない。本郷猛が食すのはサラダでさえない。そのあたりに生えている草ばかりだ。ごはんや肉を食べても味はしないし、消化する能力もない。仮面ライダーが強力なあごを持つのは、ススキや樹皮などを噛み砕いてエネルギーを効率よく取り出すためだ。
みんなと食事しても食べている振りをするだけである。味はなく美味しさも感じない。消化されることなくそのままの形で排出される。そして誰も居なくなってからひとりでススキの葉を取り込むのである。
聴力は強化され、人が歩くと骨の動く音が聞こえ、食事をした人が消化している音も聞こえる。視力は紫外線まで見える。人の動きも止まったようにも見え、肌に住むダニまでもはっきりと見える。
嗅覚も強化され通りすがりの人が前の晩に誰に抱かれたかも分かる。生殖器は切除された。しかし脳が人間のままであるから性欲は残っている。どうやってそれを満足させれば良いのか。
体の機能欠損や脳障害を抱えている障害者はたくさんいる。新しい技術がそういう人たちにとって新しい補装具となり助ける、一部の機能では一般の体を遥かに凌駕してゆくだろう。
人造人間と同じ姿になって苦しんでいる人が居る。人間が人間の体であることは幸せなことだ。しかし不幸にしてそれを失っても生きることを止めるわけにもいかぬ。対峙するしかない。すると仮面ライダーの悲しみは障害者の悲しみなのだろうか。
義手、義足がコンピュータを搭載し改良を続ければ、パラリンピック(この呼称が近い将来は廃止されるだろう)の記録がオリンピックを抜き去ることは確実だ。ならば仮面ライダーの悲しみとはふつうの人と違う体を持つことの悲しさとは言うべきではない。ならば彼の孤独や悲しみはどこにあるのか。
ショッカーの技術者たちは強化人間を作るだけでは不完全と考えた。怪人をショッカーに従順な戦闘マシーンとしておくには、自分で考え行動する事が邪魔になる。強力な怪人たちはシビリアンコントロールされなければならない。
強化人間を幾ら揃えてもばらばらであれば戦闘力にならない。裏切りや逃走するようでは危険である。自分の正義に基づいて行動されては困る。戦闘集団に優秀な士官は欠かせぬ、しかし命令は絶対なのである。それを誰に担わすのか。
ショッカーには思想もなければ宗教もない。しかし多くの科学者に最先端の研究所を与え、医学論文こそ発表しないが研究内容はノーベル医学賞ものである。国際的な犯罪組織として世界中の警察組織を相手に対等以上に対立している。非合法で世界中に支部を持ち莫大な経済力がそれを支える。それが可能なのは世界的な麻薬カルテルくらいではないか。
巨大な麻薬組織は経済的な力を背景として地域と密接し自治を行う。ショッカーも同様だろう。彼らが目指すものは世界征服ではない。自分達のビジネスがやりやすい環境を世界に作り上げるべく、麻薬が流通しやすい世界に変えたいのだ。打倒すべきは国家の法規制あり、それを打ち砕くためなら政府さえ相手にする、そういう非合法の企業体なのだろう。
ショッカーの戦闘員は自分達の地域から雇用する、彼らに改造人間を配して敵対する麻薬カルテルを破壊したり根拠地を焼き払う、ショッカーはそうやってのし上がってきたに違いない。そんな彼らがなぜ日本をターゲットにするのか。麻薬組織と対峙する世界的な警察機構が日本にあると設定すれば説得力が増す。本部近くでスパイ活動を円滑にするために陽動として事件を起こすのである。
いずれにしろ改造人間は志願者ではなかろう。有望な身体能力を持つ者を誘拐してきたのだ。恐らく適合する人間が必要なのだ。彼らをショッカーに従順な怪人にするには脳の改造が必要であった。
仮面ライダーは他の人からは哀しみに見える障害を引き受け生きている、その姿を見せる物語だ。当人がそこにどのような心理的葛藤を抱えているのか、どうやってそれと乗り越えたのか、それは語られていない。
その悲しみをただおやっさんだけが知っていたと思われる。おやっさんの陽気さの奥にある何かを誰もが感じていたに違いない。おやっさんは仮面ライダーに少しでも人間的な喜びや快感を取り戻してもらおうと色々な研究をしていたのではないか。
この人間性の問題にショッカーの科学者たちも気付いていたに違いない。その解決方法として何も感じないよう脳に改造を行った。脳の改造をされた怪人たちは命令を受けていない時はただ部屋の中に座って微動だにしない。ただ待っている。命令を受けるまで。そうすることが人間的な苦しみから解放する方法だとショッカーの科学者たちは考えた。脳を無感覚にすることもひとつの人道性だと考えた。
仮面ライダーには誰にも明かせぬ秘密があった。それを抱えて生きてゆく悲しみ。それを知るのはおやっさんただひとり。
それが苦しくとも、その苦しみとともに生きてゆくほうがよい。仮面ライダーはそういう物語ではないか。