ペンは剣よりも強し。枢機卿リシュリューの言葉であるらしい。どれほど軍備を備えようが書類にサインがなければ兵は一兵たりとも動かせられない。別に命令がないからではない。計画が立案されていないからである。
兵を動かしたら補給はいつどこへどれくらい届けるのか。宿舎、トイレはどうするのか。帰りはいつどうするのか。その間の給金はどれくらいになるか。それらが全て計画されていなければ兵など動かせるものではない。それを書くものがペンなのである。
官僚が命令を具体な計画に落とし込む。計画から命令書という書類を作成する。その書類に署名する。そして実行部隊に渡される。書類が計画を実行する。兵隊ではない。
新幹線は優れた車両ではなくシステムの名前だろう。新幹線というシステムが運用されている。車両はその一部である。設備も駅舎もその一部である。運行システムもその一部である。安全は車両や時刻表だけで実現するものではない。
事前に事故を起こさぬように計画を練り、設計し開発をし、製造に勤しみ、きちんと運用された結果である。同じ車両、同じシステムを使っても運用を取り換えればあっという間に事故は起きる。我々は運が良かった。これほど自信に満ちた自負はないのである。人間に出来ることはすべてやり切った、と言っているのだから。
戦争も、兵装や作戦が勝敗を決めるのではない。そんなものは机上の絵空事である。机上に置かれるべきは書類であって空想ではない。計画は練りに練り叩きに叩き準備されていなければ困る。それが軍隊の日常である。
戦争は運用が決める。それも日常の延長だ。戦争は補給をより長く続けた側が勝利する。これが戦争の大前提である。
この作品は悲惨なシーンも多いけれど絵柄のほんわかさでかなり軽減される。マルチナ・M・マヤコフスカヤは奔放ないい女だ。老獪で有能で純粋で、50 才になった彼女の物語だって読みたいに決まってる。
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