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2013年10月15日火曜日

宇宙はなぜこのような宇宙なのか - 青木 薫, 宇宙は無数にあるのか - 佐藤勝彦

  • 例え囲碁の神様が居ても二眼を持った石は殺せない。神と雖も万能ではない。
  • 有史以来、人間が元来もっている合理性が科学でも使われている。
  • 科学はキリスト教から生れた。
  • 科学は厳密性にある。科学的はそのうちから推察力に限定した箇所を指す。血液占いを否定するのは科学的であり、科学では単に関係性が見つからないと言う。理論物理学も実験が伴わなければ科学とは呼べない。
  • ニュートンの万有引力の公式はユークリッド幾何学で記述され、アインシュタインの相対性理論はリーマン幾何学で記述されたのだそうだ。
  • 光速 c の物理定数 299,792,458 m/s (30 万 km/s)。光速がこの値になっている理由を科学者は教えてくれない。測定した結果がこうだったと言う。
  • 多宇宙論は、神を使わずこれに答える。

そういう話がこの本に書いてある。

ほかのあらゆる可能性がすべてだめだとなったら、いかにありそうもない事でも、のこったものが真実なのだという例のふるい原理を、ここで思いだす必要がある。この場合、ほかの偶然はすべてだめだと分かったのだ。
ブルース・パティントン設計書

We must fall back upon the old axiom that when all other contingencies fail, whatever remains, however improbable, must be the truth.

  • 異なる宇宙では物理定数は違ってもよい。それを人間原理と呼ぶらしい。
  • 人間原理 (Anthropic principle) は、人間の存在が根拠になる。我々が存在する以上、物理定数はこの範囲になければならない。でなければ、我々が存在できない、または我々は存在していない。
  • 情報とは時間の事だろう。時間が流れていなければ情報も存在しない。ならば人間とは時間の受容体であるか。誰も観測できない宇宙も存在はしているだろう、それを、厳密にはどう扱うべきだろうか。
  • 神が居ようが居まいが、人間がいようがいまいが、地球に風が吹く。宇宙から人間が消えても我々が見つけた法則は揺るがない。前提条件を満たす限り宇宙を観測すれば法則と一致する。しかし証明はできない。
  • 多宇宙があるとすれば我々の世界は偶々のものになる。例え神の所作に見えるものも偶々である。逆にありふれたものも偶々になる。
  • どれだけ技術や科学が発展しようが無理なものは無理である。神にさえ無理である。

  • 太古から人は天の動きに神を見た。目の前の事実 (FACT) に意味を付け、同じ現象(恐らく宇宙は人間が誕生してから一度もその振舞いを変えたことはない)に異なる意味を見い出し、それを理由に人も殺した。科学も例外ではない。
  • カマキリの脚は捕食のためにあるに違いない。だがカマキリが自分の意志で獲得したものではあるまい。では DNA に意思があったのだろうか。巧妙に進化した様を見ると、まるで DNA に意思があったかのように思われてくる。
  • 原子、分子をある条件下に置くと生物が誕生するのは間違いない。これは偶然であろうか。もともと原子や分子にそうなる力があると思われる。原子や分子は生物に成りたがっているとも言える。それを原子の意志と呼んでもいい。

  • 人は相手の意を汲もうとする。誰かへの思いやりが誰かを助ける。相手の意図や気持ちを汲み取ることが行動を起こす。
  • 同じ能力が敵対する相手を封じる。相手の意図を汲み取り行動する。これが生き延びるのに有利な能力である事は間違いない。
  • 思いやる能力は人間以外にも拡大する。獲物となる動物から、虫、植物、石、川、山、空からも意図を汲み取ろうとした。もちろん宇宙からも。
  • 読み取る能力が、対象から意志を汲み取る。その対象に機能を見い出す。
  • 機能には働きがある。影響がある。役割がある。仕組みがある。構造がある。意図がある。よって目的がある。

  • 子供が言葉を覚えると「なぜ」と問いかけてくる。これが脳の性質から来るのか、それとも言語の構造が強要するものなのか。言葉を使う時に、なぜ、という空白を埋めたいと思うもののようだ。文法が、誰や、何時や、何故を要望する。それを埋めるように人はものを考える。
  • 言葉は主語を必要とする。何か分からないものがあった時に、そこに神を埋め込めば文章は完成する。
  • 神は主語に過ぎない。それ以外の主語となる言葉を見つければ神である必要はなくなる。神であろうが、偶然であろうが、構わない。

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