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2013年7月24日水曜日

不賢を見ては内に自ら省みる - 孔子

巻二里仁第四之十七
子曰 (子曰く)
見賢思斉焉 (賢を見てはひとしからんと思い)
見不賢而内自省也 (不賢を見ては内に自ら省みる)

優れた人を見たら、そうなりたいと思う。
失敗した人を見たら、その過ちに学ぶ。

優れた人を見たら、そうなりたいと思う。
優れていない人を見たら、自分がそうならないように考える。

優れた人を見たら、そうなりたいと思う。
劣った人を見たら、実は自分もそうではないかと振り返る。

賢な人からよりも、不賢な人からの方が学ぶことは多い。もし自分自身が不賢であっても、自分自身を見て、自ら省みる事が出来るようになれば立派な事だろう。

それが出来ぬから、不賢な人を見る必要がある。

所で、私には誰かを賢と不賢にするだけの見識はあるんだろうか?

私が賢とし、私が不賢とする人が、本当にそうであるとどうやって決めるのだろう?

私がもっとも不賢であるかも知れないのに。

この不賢とは私自身の事だ。

私一人が不賢ならばそれで十分なのだ。

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