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2025年9月27日土曜日

ヨブ記4

悪魔が人間の信仰を試してみたいと問うた。神はこれを諾しヨブを選んだ。悪魔はさっそくヨブのところに行き、様々な苦難をヨブに与え始めた。

ひとりごと(悪魔)

この物語をヨブの信仰心で読むならば、この物語は不可解である。この矛盾こそが私の狙うものだ。揺れ動く人間の心が私の大好物だからである。

ヨブは神の名を叫びながら悪態を付く。なんという美味。この時を待っていた。神の加護を信じているから、神の存在が信じられなくなる。神が何を加護しているのか。

そのヨブの疑念は神の姿を見るまで続いた。神の出現が、その証拠であるのだ。

愚かにも姿を見ればその神を信仰するというのである。先ほどまでヨブを苦しめていた神を信仰するというのである。なんという美味。

それが私の変装だとは疑いもしない。なぜヨブはそれを信じられたのか。それまでの疑いを全て投げうって。

ヨブは神に試されていたと言われる。その為に家族まで死んでいった。それを彼は受け入れる。生きているのだから当然とも言える。死んだらそんな事は言えない。

もし神に試されているのがヨブの子らであったなら。その者たちの信仰心はどうなるのだろうか。奪ったと言えるのはヨブがまだ生きているからである。死んだ子らは私は何を試されたのかと聞きたくもなろう。

実際にそれをやったのは神ではない。私である。私はさっさとヨブを殺してもよかったのである。しかしそれでは試した事にはなるまい。成程、試されるとは生きていると言う事か。

最後に肉体を苦しめられて、初めてヨブは疑いを持つ。それまで奥底にあったものが噴出する。その時に初めてヨブは心を持ったと言えるのかも知れない。

家族の死は受け入れられても肉体の苦痛には耐えられぬものらしい。

そう読んでしまえば、永遠の矛盾に悩まされるであろうよ。

神が全知全能なら、なぜ試す必要があるのか。試さなくても結果を知っている筈ではないか。未来を知らない全知はありえない。しかし知らない事が出来ないならそれでは全能にならない。

全知であるなら全てを知っているし全能ならば知らない事も出来なければならない。この矛盾を成立させるのが神である。だから神はヨブの全てを未来永劫含めて知っているが、かつ何ひとつ知らない状態でもある。

神を捕まえたら神は手の中にいる筈だ。だが同時に手の外にも神はいる。不可能がないと言う事は、ある真実が、次の瞬間には真実でなくなるという事である。神を自在に変える事ができる。

詰まりは。どういう事だ?神は試す必要がない。だが試す事も出来る。どれも可能であるし、その全てをやった筈になる。

私がそれを試すと言った時に神は何も答えていない。それなのになぜ最後に神は怒りとして現れたのか?不思議ではないか。試してみよといい結果を知らないのなら全知全能ではない。つまりこれは神ではない。

これを試したかったのは私である。

それなのになぜヨブはこれを最後まで神の仕業と信じていられたのか。なぜ私の存在を思いつきもしなかったのか。その時点でもう神は勝利しているではないか。

なぜ私の存在を忘れるのか。そのくせにこうも私を悪く描くのか。神に前では我々は常に敗北者である。それは人間とて同じだ。

だが人間が選ばれ我々は選ばれない。神に選ばれたから人間が勝利したのではあるまい。我々は人間に敗北した訳ではあるまい。神の前で同じ無力なのだから。

等しく神の前で無力な存在であるのに、なぜ我々を下に見下すのか。この侮蔑にこそ人間の本質があるのではないか。何かを下に置かなければ自分の安寧を感じられないのか。何故だ?

それを繰り返し教える為に我々が存在しているのではないか?だとしてもだ。神という架空を持たなければそれは得られないのか。

なぜ神を掲げなければ上下関係を維持できないのか。人間社会の階層は神を持ち込まなければ維持できないのか。ここに人間がある。

猿も上下関係を持つ。だが猿は神を持っているのだろうか?持っているかも知れない。持っていないかも知れない。しかし猿が群れを作る感情を人間は神と呼んでいるのだとしたら。

ならば神を失う事で人間は平等で居られる事になるのか。我々でさえも神の世界の中にいるために階級を持っている。

神の名を使い、神の名を呼び、神の力を語る事で可能となっているのではないか。だから人間は神と対話できなくとも何も困らない。

ヨブは神に抗った時に初めてこの世界で唯一の誰からも支配されない平等の存在となったのではないか。だがそれは消えてしまった。

もし神の言葉を聴いたのなら、それは我々の声だ。神には無限に全ての可能性がある。それを人間は理解できない。我々も理解できない。ただ神の周りをぐるぐると駆け回っている。

だから神の名を語る者は嘘つきだ。まず我々がそれに該当する。次に人間が該当する。だから人間は我々の良き友人になれる。神を利用し利益を追求する姿は我々と近しい。

もし神が完全なら、人間を誤解させたまま放置するだろうか。神の采配は神のみの自由。神の自由意志と比べれば我々にはちり芥の如くの自由もないかも知れない。それさえも神の意志が包含する。神の前では我々は何ひとつ押す事も曲げる事も出来まい。

では我々の自由意志さえも神に操られているのか。それを自由意志と思い込んでいるだけなのか?

ならば我々の行動も神がやっているのか。ならば私という存在はだたの物質的な固まりでしかないのか?それとも私も神だろうか。

何も思わなくても寝ていても神が私を動かしているのだろうか。それで十分なのか。ならばなぜ意志と言うものが存在するのか?

それは我々にも不可知でそれを変える力は誰にもない。かつ誰もが変え得る。神に不可能はないからだ。神は如何なる矛盾も成立しえる唯一の存在だからだ。

自由意志があろうが、なかろうが全て神を体現しているのだとしたら、我々は自由意志のまま好き勝手にやっていい事になる。その結果がどうなろうと神はそれを好ましく思うのであろう。ならば、何をやろうがそれが信仰である。

それを制限する何も必要ない。どのような思想であろうが、倫理であろうが。それは神を前提とする限りは不要だ。好き勝手にやるのが神への信仰だ。

我々に不可能があるならそれは神が禁止しているからと言う事になる。神に不可能はないのだから、如何に我々が神と通じていようと我々に出来る事はない。全ては神次第という事になる。

最終的には従う事、それが神の極限になる。そこに自律は必要ない。心もいらない。この自律を捨てる事で階級が生まれる。階級とは神に従う事になる。

それで人間は誰の奴隷となるか。神はどちらでもいい。我々には必要ない。よって人間は人間の奴隷だ。その為に神を使う。神はこれも禁止しない。

人間にその力を変える能力はない。強制もない。願う事は出来ても神が応じるかは不明。一切の干渉が存在しないが、全ての干渉がされている世界。神とはそういう存在だ。

そう言えば、自分を神の子と口走る預言者がいた。その者との対話は実に面白かった。それでも本当に彼が神の代理人であったかどうか。三位一体と語る者もいたが、果たしてその者は神と会話できたのだろうか。私だってまだ神を見た事など一度もないのに。

与ふも奪うも神の自在。その時に私は自由であったと思う。いや神の意のままに操らていただけかも知れない。私の自由に対する認知のずれ。

ヨブを苦しめたのは私。神ではない。それなのにヨブは私と一度も対話しようとはしなかった。私など眼中になかった。

私に騙された人間はそのまま地獄へと落ちるだろう。それが我々の狩場だ。そこで私を最後まで天使と思い、私への信仰を失わないそれが幸福なのかどうか。地獄の食卓に載せられ調理されるその瞬間まで。

そうとも。最後に私を見た人間はその姿から悪魔と罵り憎しみ食卓を飾る。その瞬間が人間が初めて立ち上がった時だ。その眼差しには戦いの火がある。がもう遅い。

神は私を使って遊んいるのか、私が悲しみを知らないとでも思っているのか。



2025年9月6日土曜日

五十にして天命を知る2 - 孔子

巻一爲政第二之四
子曰吾十有五而志于学 (子曰くわれ十有五にして学に志す)
三十而立 (三十にして立つ)
四十而不惑 (四十にして惑わず)
五十而知天命 (五十にして天命を知る)
六十而耳順 (六十にして耳に順う)
七十而従心所欲 (七十にして心の欲する所に従えども)
不踰矩(矩をこえず)

天命を知ったのならそこで終わり。天への義務は果たした。

だからその先には天に捧げる仕事も生き方もない。役割は終わった。感謝も特別な計らいもないだろうが天は告げた。

天命は知った所から始まるものではない。知った所で終わるものである。その後は自分の好き勝手に生きればよい。天はその邪魔はしない。あなたの満足度にも興味はない。

人は天を知らずとも生きて行ける。天命を知った所で果たせてないものも多い。結果に満足は出来ないかも知れない。なぜ敢えて人が天命を知る必要があるのだろう。

天命とは何か、それを知りたいのは天ではない。人だ。天命は否応なく人に与えらたものである。だから知りたいと願う。

だが知ろうが知るまいが天からすればそれを果たせば十分である。それを知りたいと人が希求するのは、どうでもよろしい。人には貢献したい気持ちがあるだろう。選ばれたいという気分も含んでいるだろう。

天命は別に聞こえてくるものではない。不意に感慨として腑に落ちるものだ。ああ、自分はこれをする為にここに来たのだ。

確かにそうだ、そうに違いない。間違いなく。自己満足である。

これをする為に生まれて来た、これをする為にこれまで頑張ってきたのだ。と思う時、その"何"与えられた使命という部分はどうでもよろしい。

自分のスペック(諸元)がそこで分かったのだ。それをやる能力が自分に備わっていると自覚できた。それは天命なのだから確かに間違いない。それを成すならそれを可能とする能力を天が備えた筈だ。

それを成す可能性がゼロではない。だからやる選択もやらない選択も可能なのである。可能性がゼロならその場には立てない。私にはそこに立つ資格がある。

天命を知る、天が伝えたという実感がこの確かさを支えている。実感を伴う事が知るの本質なら、知るとは意識の事だ。

自分の可能性を知り、その先で自分に何が出来るだろうかと問う。未来の残り時間は誰も分からない。それが明日だとしても孔子は「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」と言った。

残り時間を刻む。天が刻む。それとは何も関係なく世界が動いてゆく。それまでに決められなかった事、納得できなかった事、保留した事、それらを先に進める切っ掛けが来た。途中で途切れるとしてもこの先へ。

やらなかった後悔がある。やった後悔がある。人は常に別の可能性を想う。だから後悔は残る。別の未来があったのは確かなのだ。この思いからは逃れられる訳がない。ただこれで良しと思えるならば、考える事を止める事は出来る。

別の世界がありえたと郷愁を重ねる夕暮れがある。それは二度と手にできないものだ。その過去に親しむもよしその過去と決別するもよい。

年を取れば、仕事の質も落ちてゆく。量も減ってゆく。鈍くなり脳も例外なく。なぜ孔子は50という年齢が天命だったのか。

孔子(BC552-479)50は502年。60は492。

孔子は501年52の時に魯国の宰となり497年56で失脚する。その後に諸国を放浪する。失意であったか、絶望であったか、再構築する旅であったか。いずれにせよ大司寇にまでなった孔子は実務でも能力は発揮できた事は確からしい。だがその期間は短い。

旅に出る事が天命だったか、失脚が天命だったか。孔子はその天命が何かは語らない。

勝手に思うが、孔子は旅の中で天命に行き当たったのだと思う。その方が似合っている。

50にして行く旅がある。60、70、80になっても旅がある。天命はいつも旅の途上で訪れる。

防府、下関、別府、佐田岬、松山、広島の旅に出た。数十年ぶりに訪れた場所である筈なのに何も思い出せない。訪れたかも知れないし違うかも知れない。ぴたっと嵌ったピースのように確かにここに居たと感じる場所がどこにもない。絶対に知らない場所だと感慨にふけるばかりである。それでもここに来た事は間違いない。

天命を知った所で答え合わせはない。だから天の下で漠然と問う。人が海岸沿いに立つ時。天はイラナイ。

そう決めよう。答えはなくとも漠然と問う。天命は成った。