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2025年7月31日木曜日

切り抜きストーリー12

2013/01/13
よいとか悪いとか決める必要なんてありません。それは難しいと知るだけで十分ではないですか。

2013/01/19
自分たちの世代で使い切ってしまう事を無責任と言う。無責任とは伝えない事だ。

2013/01/19
鴨がネギをしょってやって来るのを悪くいう人はいない。だけど当人は左の頬を差し出したつもりでいるから友愛とか言ってしまうんだ。

2013/01/21
どうでもいい事に白黒つけたくなるのは暇だからなんだ。

2013/01/22
ジャーナリストの仕事は、政府が隠している都合の悪い事を暴く事であり、政府が隠さないようにする事ではありません。政府とは隠すものなのですから。

2013/01/23
記号化する男、相対化する女。

2013/01/27
ベルトコンベアに載せて次々と人間を処理してゆく感じがする会話。仕事のできる女の人にこういう感じの人が偶にいる。

2013/01/27
なるほどね、を何度も口に出す時は理解してないんじゃないかしら。

2013/02/11
大きすぎる目標、行き当りばったりの計画、文句ばかりのリーダー、頑張ってはくれるが能力不足の否めない部下たち、敵五人に対して毎回1人分の予算しか許可してくれない経理。これで勝てると思う方がどうかしてる。

2013/02/11
全員を逮捕する。今日の運転は荒いな、おい気をつけろ!おっと安全装置が外れちゃったぜ。うわ引き金も引かれちゃった。大変だアクシデントだ、みんな死んじゃった。と言うのが最も穏健な解決方法だと思います。映画の最後に使えそうだ。

2013/02/11
僕はときどきこの人の妄想に挫けそうになるけれど負けない。笑っていつまでもTLを読んでいたい。

2013/02/13
運動家というのは相手に自分の意志で行動して貰いたいのだ。そうなるまで説き伏せるのだ。そうやって自分の思い通りになる仲間を増やすのだ。当人は自分の考えで行動していると思っているが、視点を変えれば便利な駒の出来上がりだ。そうする為には破れない原理。

2013/02/14
道をふさいでゆっくり歩く、道の真ん中で立ち止まる。それは老人の特権ではなく単なる特徴だよ。

2013/02/15
かたつむりはまだ許せるけどなめぐじはダメ。持ち家があるって強いな。

2013/02/16
道徳を教えるのって歴史を教えることだから。

2013/02/19
たった100年しかもたないエネルギーを見つけたからと言って、今すぐに使い始める理由はない。たった100年なら、それは最高のタイミングで使うべきだし、後の世代こそが欲するであろう。少なくとも今ではない。

2013/02/23
この国はどこかで袋小路に入り込んでしまったのかも知れない。もうじき出口がないなら壁を壊せばいいと言い出すのだろうが、ここはただの暗闇で壁などない。

2013/03/04
過度な著作権は情報の伝播を阻害する圧力なのだから人類全体で見た時には後退の因子だろう。

2013/03/06
世界とは人間の写像にすぎない。人間という入れ物の形に合わせて、水のように自在に姿を変える。容器以外の形では世界を見れない。万物の根源は水である。

2013/03/08
爆進。ロケットエンジンを轟轟させながら先に猛進している感じ。

2013/03/15
エルグレコ
ラファエロも円空も見ずにグレコ

芸術家の自画像、襟の白いひだひだがいいね。

燃え木で蝋燭を灯す少年。口の周りの白い色が白粉に見えて好きだけど灯りだね。

白てんの毛皮をまとう婦人。毛皮と背景の境目がいい。女は肌とかも綺麗に描かないといけないから嫌いだといってそう。

フリアンロメロと守護聖人。甲冑の間から見える緋色がすてき。左にある手書き文字のうますぎない感じいい。

聖パウロ。赤が聖なる色なのかしら。右手の表情がいい。

聖ペテロ。ヨハネ。パウロ。赤に飽きたのかな。水色と黄色、緑と赤、赤と青。色の組み合わせと印象が面白い。ヨハネ悪い奴そう。

聖アンナのいる聖家族。この空色と雲、まるでラピュタみたい!

聖ラウレンティウスの前に現れる聖母。あの振り向きでは聖母が目に入るわけはないのである。気配に気づいてあたりを探しているという感じかしら。

悔悛するマグダラのマリア。青の大地が不思議。

絵画は模倣である。フィルムは模倣であるか?

羊飼いの礼拝。もっともらしいかも知れない。暗闇の感じもいい。

受胎告知。赤青黄登場。

受胎告知1600。縦長の方がいいね。岩の壁に見えるものは全部顔ですからね。

羊飼いの礼拝。漫画家が模写しないかな。

十字架のキリスト。四つに分割された割合が不思議な構図。

聖母戴冠。ほら羽根から顔が生えてる天使が。

聖母戴冠。二つの大きさの違いが、大きさの表現の違いとなっているのかな。

聖アウグスティヌス、ヤコブ、フランチェスコ。オレンジ色。フランチェスコの空もいい。

あーあ天使の顔を踏ん付けちゃって。

聖マルティヌスと乞食。首が死ぬほど長いのは愛嬌として主役は馬に違いない。

聖母のエリザベツ訪問。青と青の対比がいいね。

無原罪のお宿り。羽がかっこいい、雲がかっこいい、衣がかっこいい。

グレコって兎に角かっこいい画家なんだよ。

どれが傑作とかあまりないな。このタッチかあればどれでも。それでストームを描いてもらいたい。どんな絵になるか想像してみる。

画集にはタッチがないから。

2025年7月26日土曜日

切り抜きストーリー11

2012/09/01
こんな世界がいいなんて想像力が乏しいのさ。

2012/09/03
なぜ前後すぐを舞台としたドラマを作る時にはおどおどとして作るのだろう。とかく戦争(敗戦)は悪という視点はまだ変えないみたいだ。

2012/09/03
既存政党への落胆が続く中でもう残っているのは状況を変えるためには暴力も辞さずという勢力への支持、容認である。

2012/09/03
話し合っても権力の譲り合いなどない、あり得ないのだ。大国主命の国譲り以外は。

2012/09/05
石原さとみを重巡とすれば堀北真紀は軽巡か

2012/09/06
その自動小銃を買うために何を使って書類にサインしたと思っているのか。

2012/09/06
我が左舷音探装置はモスキートの爆撃を受け破損ありと雖も機能には些かの影響もなし。

2012/09/07
人間の祖先は猿で、恐竜がいる頃はネズミだったが、もっと前は単弓類ってトカゲ。なるほど V が面白い理由はそこか、あれはご先祖様がそのまんまの形で進化しやがったんだな。

2012/09/08
飛行機のプロペラが廻っていると羽は見えないけれど羽の影のようなものが動いているのが見える。波と粒子もこれと似て回転が波で影が粒子と思えなくもないか。

2012/09/09
アメリカは母親じゃない、鳥の刷り込みじゃあるまいし。

かと思えばアメリカにおしり差し出せばいいと思ってる人もいる。

例えインディアンと同じになろうとも、という気概がいる、そこで歴史の審判。それを受けるには文化がいる。誰だこの文化を持つ人々を葬りさったのは?という評価、これをディスクン人の論理と言う。

2012/09/09
道州制はちゃんと三権の移譲として語って欲しい。

2012/09/10
この国で何かを決める時、行政はお金に相談し立法は世論調査に相談する、司法だけは少し変わってて検察と相談する。

世論調査は短期的かつ瞬間的でしかないのでこれを微積分するのが政治。

2012/09/11
庭の草取りしたら蟻に噛まれた。痛い。餌場を守ろうとしたのだろうけど何時か殺す。と言うかその勇者はもう殺したけど。

2012/09/12
均等だったものがまだらになって全体的には薄く見えるけどどこかが濃厚になる頃。

2012/09/12
死刑執行人は自分が殺した事を知らない。彼に投票した人は自分の死刑執行にサインしたことに気付かない。それが本当の殺人だ。

2012/09/12
私たちは分かり合えなくとも助け合えるのです。

2012/09/18
自信というものは不安に打ち勝つ為の心の持ち様であり根拠に裏付けさた理由を必要としない。苦難の前で己を律するのである。

2012/09/18
君たちの考えは全く正しい、もしこの世に死というものがなければ。

2012/09/19
拒絶する人をリーダーに選んじゃいけないよ。拒否できない人を選んでもいけないよ。

2012/09/23
そのように出来ている、としか言いようがない。

2012/09/23
自分に都合のいい見方しかしていないから、人の上に立ちたいと考えるんでしょうが。口をつぐむこともできずに。沈黙に耐える勇気がなくて、どうして歌をうたえますか。

2012/09/27
無能をどう配置するかというゲームは如何。

2012/09/27
神風という時点で負けてる。

2012/10/01
宇宙が自転しているから星雲は渦を作るし対称性も破れるし右巻きばかりになったのだ。それは海流をつくり宇宙をマダラにする。という妄想。SFのネタになるかなぁ。

2012/10/05
存続は存在意義を凌駕する。当初の目的を変えてでも存在しようとする。

2012/10/06
見返りもなく誰かに何かを与えられるほど強くはない。

2012/10/11
自分を悪人であると認めれる者は死刑囚でさえいない。否定するくらいなら命さえ絶つのだ。

2012/10/11
ユニコーンの時代にシャーザクじゃ手も足もでないか。主戦力ではなくとも現役である。戦艦朝日や山城の例もある。

2012/10/11
そういったものが全てなくなってしまい最後には面白いしか残りませんでした。

2012/10/11
正義よりも、敵を欲す。ヒーローみたいなもの。

2012/10/20
本当のロマンは火星に生命の痕跡があってしかも地球型ではないという場合だよ。

2012/11/04
もしかして警察も検察も直感に基づく有罪がカッコいいと思ってるのかな。証拠を積み上げる科学ではなく勘に基づくギャンブルが仕事だと。

2012/12/01
14人中30位だって言われた。

2012/12/02
かつての人間はどうやってこの寒い季節を乗り切ったのだ?

2012/12/06
もう少し日本のドラマは真面目に人を殺してもらいたいものだ。

2012/12/22
逃げるって思うから逃げれない。A地点からB点への移動だとはなぜ思えない。それはもう負けているからだ。負けていないと思えれば移動するのに何ら心理的な負い目など起きようがないではないか。

2012/12/29
もしかしてみんなで目をつぶり昔に戻りたいと言っただけなのだろうか。

2012/12/29
その目の中に生きる輝きがある限り見捨てられやしない。

2012/12/30
ダレ場は取り除くものではなく、研ぎ澄ますものみたいね。

2012/12/31
何が人を助けるかは分からない、つまり誰もが自分の知らない所で、気付かない所で誰かを助けている可能性があるという話だ。

2025年7月6日日曜日

ヨブ記2

悪魔が人間の信仰を試してみたいと問うた。神はこれを諾しヨブを選んだ。悪魔はさっそくヨブのところに行き、様々な苦難をヨブに与え始めた。

ひとりごと(ヨブ)

このクソったれが。信仰されているからって舐めた真似すんじゃねぇぞ。

わしが生まれた時にはもういる神だから、何も考えずに信心を注いできた。短いながらも生きた経験に照らすなら人間には元来信心がある。それがどこに向かうかはわしの勝手ではない。生まれ落ちた場所や時代で決まる。わしの知らない神を信仰する人なら幾らでも会って来た。

偶々目の前に居た神だ。わしの信仰心がどこに向かうなど偶然だ。もっと東の地で生まれていたら、別の何かを信じていたであろう。

わしの信仰心もそうとうに見上げたものである筈だ。なんせわしは自分の子まで捧げた。やつの望みも受け入れた。もし生贄にせよと命じられたなら、わしはその通りに魂を返しただろうよ。

死んだ子らの気持ちを考えるまでもない。子供の命はわしのものではない、それくらいはわしだって知っておる。あの子らも生きたいと望んでいたであろうが、それでも神は連れ去っていった。

神があの子を欲したのだ。わしの命ではない。わしにどうこう出来る命などない。もちろん悲しかった。わしの心は潰されそうなくらいに辛かった。

それでも。何だこのほとばしる激しい痛みは。こんな痛みと苦しみが人間に耐えられる訳がない。なぜ神はこれだけの痛みを感じるようにわしらを作ったのだ。なぜそんな運命をわしを投げつけたのだ。

こんな仕打ちを神が望む理由は何だ。この苦痛が必要な理由はなんだ。なぜわしの体にこれだけの苦痛を与えるのか。なぜわしはこの痛みに耐えねばならぬのか?それが魂の救いとどう関係するのか。この痛みがどんな試練だというのか?この苦しみの先に何かあるのか?

もしかしたら神はわしがこれほどの苦難の中にある事を知らないのではないか。だからわしのこの苦しみを取り除けないのではないか?何も知らぬのか、それとも知っていて何もしないのか?

この苦しみを知ってもまだ救いに来られないのなら、わしにはその意図を正しく知る義務がある。それなくばわしには耐えられぬ。

もしそれが叶うならば、わしはまだこの先も耐えられるだろう。だがそこに納得できなければ、わしは何を頼りにすればいい?

別の神に向かうべきか?救ってくれる神こそが神ではないか?神を捨てる?そんな恐ろしい事を。

神の試みが永遠の苦しみだとしたらどうする?それが神の望みなら?そこにわしの救いはあるのか、永久にこの苦痛に耐えるなどわしにはできそうにない。例え神の御心であってもだ。

救うとは終わらせる事ではないのか。もし神が終えぬのならわしはわし自身の手で終わらせる。その手段が残されている。それが神の深淵なる思し召しか?試練は終わるから耐えられる。では耐えた後のわしに何が残るのか?

わしは神に従うしかない。その時点でわしの信仰はもう汚されている。わしはその脅しに屈したのだ。その為にこの苦しみはどうだ?

神とは苦しみに手を差し伸べる存在ではないのか。人間を救う為に存在するのではないのか。予言者たちは救いがあると言いながらむこうの部屋で飲み食いしておった。しかし、今のわしにとってこの神は役に立たない。

この世界に病や事故は耐えない。老いや苦しみもある。それらを司るのも神だろう。それらも祝福しているのが神だろう。ならば神が祝福するものがわしを苦しめておる。その作用が肌にぶつぶつを作り出している。

どんなものであれ、神が支配している世界にわしらは住んでおる。わしを苦しめるものも神の世界を成す。神は全てを統べるならそれを神は望んでいる。

この病が斯くも苦しみを与えるのは神がそれを祝福しているからだ。それを取り除いて欲しい時に、神はわしよりも病の基の方を祝福している。

神はわしよりもこの病の方を気に入っているに違いない。わしの信仰心よりもこの病の方を気に入っている。だから神に愛されぬわしには苦しみしかない。

人が常に善人とは限らない。だが悪人だからと罰されると言う話は聞いた事がない。それをわしは経験から知っている。神は悪を滅ぼす気がない。悪さえも祝福しておる。病でさえ神の祝福なのだ。

人の悪意は跡を絶たない。わしが苦しんでいる時にわしの富を奪おうとやってくる盗人がいる。その盗みも神の意図であろう、神はその盗人さえも愛する。ならばわしがその盗人を叩くのは神の意にそぐわぬのか。それともそれを殺す事が神のお望みか?

てんでばらばらに好き勝手に自由気儘で良いのか?それが神の希だと言うのか?ならば、なぜ神はわしらに何かを望むのか?見返りを与えるなどと言うのか?すべて存在するものを一辺に救えばいいではないか?なぜ小出しに祝福し罰するのか?

いや、そもそも神は祝福する存在なのか?祝福とは何なのか?富んだ者には金銀を分け与え、貧しい者には心の満足を与える?それで満足というのか?

わしの心とは何だ?苦しい、悲しい、その感情がわしの肉体に宿っておる。他の奴らが苦しんでいないのにわしだけが苦しんでおる、そう感じる事がわしの心だとしたら、わしはわしの苦しみを不公平だとわしは言う。

それを解消するには、わしが苦しみから解き放たれるか、神の御心と満足するしかないのか?それが神の意図なのか、そんなもの神に頼らなくとも、わし自身でやってやる。

わしの神とやらはどこにいる。わしのための神がどこに存在する。それぞれ人の数だけ神がおるに違いない。道端の石ころにさえ神は愛するであろう。そういう神に畏敬を感じるとしても、わしに神は必要ない。必要としようがすまいが神はいる。

助かろうが、助かるまいが、神はいる。わしからの働き掛けなど神は欲しない筈だ。それでもわしが神への信仰を示したいのだとしたら、それはわしが勝手にやる事だ。

わしの神が他の神との力比べに負けたとしても仕方ない。それが神がわしを苦しめる理由だ。わしを救えない神が何の役に立つだろう?弱い神をわしが信仰する理由?

力の弱い、わしを見捨てる神をなぜ信仰する?それに答えもしない神をなぜ望むか?なぜ全知なのにわしが信じ続ける事を知らないのか。なぜわしが反抗する事を知らないのか。この神はこの神ではない。

どれだけ悪態をついても、本当の神ならそれを既に知っている筈だ。全知であるなら知らないなどあり得ない。この世界の未来を統べるのが神であるのだからこの結果も知っていた筈だ。全知に未来と過去はない。

知っている事が起きたからと言ってなぜいちいち怒る必要があるのか。知らない事があろうはずがない。わしの何をお怒りになったのか、それを知る事は人間の外にある。神の気持ちはわしには分からぬ。

わしの信仰を試すため?試さねば分からぬ程度なのか、わしの信仰心は?試さねば分からぬ程度なのか、神の知る力は?わしも人である。痛みや怒りを感じるのは当然ではないか。心が揺らぐから人でいられるのだ。もし心を揺らがぬ事を神が望むのだとすればもう人ではあるまい。

わしに試練を与えると誰が言った?乗り越えられぬ試練などないと誰が言った?当たり前ではないか?わしが死んでしまえば試練も同時に消えてしまうのだ。生きている限りはわしはそれを乗り越えている。馬鹿馬鹿しい。

死ぬ事で消えてしまう試練と言うようなものを本当に人間に与えるだろうか?そんなもので人間は喜ぶだろうか。わしが怒りにまかせて神を罵った時にわしの心は揺らぎはしていなかった。ただ空に放たれた矢の様に突き刺さるべく真っ直ぐだった。

この世界の全ては神なく動く筈もない。悪魔でさえ神の祝福があるから存在しうるのだ。そうでないものが存在する筈がない。ならば全てを神は許可している。

わしの中には沸き起こるふたつのものがある。神への畏敬と、わし自身だ。だが全てを知っている神にわしが何かする事があろうか?ある筈がない。なぜ神は求めるのか?なぜ神は求めないのか?

ぎりぎりまで苦痛に耐えに耐え、そうして信仰心を示しておいて、やっと悪態をつく、そうすれば、まんまとわしの前に姿を現す。この賭けはわしの勝ちだ。

今まで誰も見た事も聞いた事もない神をやっとわしの前に引きずり出したのだ。この程度が神の訳がない。神の名を語るお前は誰だ?

それでもわしの中には神を敬う心がある。不思議だ。こんな境遇にあっても、わしの心から神は離れない。居ようが居まいが関係ない。本物であるかどうかもどうでもいい。偽物であろうと、本物であろうと、わしの中に神を想う心がある。それが消えない。

与えるのも神なら奪うのも神という、それは神の御業であって、勝手にやってろ、本当であろうと嘘であろうと、わしには何の関係もない。わしは神の奴隷ではないし、神もわしの奴隷ではない。

わしが長生きしたとしてもそれが神の祝福である筈がない。わしは苦しみも祝福も拒否する。それを神という理由にはしない。

本当の神がいるとして、それはこのような状況になってもわしを苦しみからは救おうとはしない神がいるとして、それでいい、それで十分である。いつかわしがその寝首を刈ってやる。そのための神でいい。