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2017年4月25日火曜日

オオヤシマ - 松田未来

松田未来は航空機を描かせば日本でも有数の作家。レシプロからジェット、空から海から宇宙まで。南極に着陸する飛行機だって、たとえ海底をゆくバチスカーフだって、描けば絶品である。

だが「オオヤシマ~遣独愚連艦隊航海記」はいただけない。せっかくの飛行機がもったいない。

舞台は日本。時代は第二次世界大戦。史実と架空の組み合わせ。民間人である主人公とヒロイン。ヒロインが恋焦がれる艦長、この艦長を執拗に狙うかつての親友。いわくつきの船員と隠密行動をする水上機母艦。

舞台は揃っている。かつての親友がひとりの女性を巡って不仲になる設定も悪くない。東条英機だって気に入らないやつは前線に送ったらしいから執拗な嫌がらせも別に絵空事ではない。

だが、物語にはリアリティが必要だ。物語の中核を作るのに不仲になったかつての親友は重要だ。この設定がおざなりだったり、軽んじられれば物語が支えきれない。構造物が崩壊するように、物語は魅力を失ってゆく。

実はいい人でした、実は裏切り者でした。何でもOKである。瞬間、瞬間に十分な説得力さえあれば。リアリティさえあれば物語は自然と進んでゆく。その憎しみにリアリティさえあれば。ほっておいてもキャラクターが勝手にストーリーを紡ぐ。

もしその憎しみが激しいのなら、作中のような姑息な手段を取らなくても、海上で殺す方法など幾らでもある。それをしない説得力がない。だから、お前を許さないなどというセリフを吐く前に、黙って海に突き落とす方が人間としては正解なのである。

そういうキャラクターを創造したはずなのに、物語の中でやっている事がちぐはぐなのである。このキャラクターたちは作家の思い通りに動いているようだが、やる気が感じられない。仕方なく演技しているように見える。俺はもっと違うキャラなんだけどな、という声が聞こえてきそうだ。悪者でもいいから、もっときちんと描いてくれよ。俺はこんな間抜けを演じなくちゃいけないのか?

20年の監獄よりも絶望的な戦地に送ってやる。これが不要だ。これで説得力が失われる。リアリティは絵柄と物語のどちらも支える。絵柄はリアリティと物語を支える、物語は絵柄とリアリティを支える。この絵柄でこの説得力では物語が持たない。

恋敵というのが滑稽なのではない。たいした理由が用意できないなら最期まで恨む理由など伏せておいてもよい。補完計画を最後まで謎のままにしたヱヴァンゲリヲンが今でもヒットするのがよい傍証だ。あの作品は謎を解いて見せた瞬間に魅力を失うように組み立てられている。

詰まらない真実を語るくらいなら、謎のままでよい。恨みの深ささえあれば、中身などなくて結構。今は不仲になったかつての親友という設定だけで十分である。余計な話を語りすぎなのである。

危険な任務を押し付けてくるかつての親友、どうして?それで十分だったのではないか。相手の力量を認めながらも死地に赴かせ戦死を願っている。それでも十分に説得力のある展開は出来たではないか。

恨んでいます、禁固20年のために裏から手をまわしました。だけど気が変わったので一年で出所させます。海に出します。死んでしまえ。そんなストーリーが通用する海軍がこの世界のどこにある。海軍は貴公の私物ではないのだぞ、くらいは上官から言われても良さそうである。少なくとも絵柄はそういうリアリティを要求している。特に空を飛ぶ航空機が。

普段は有能で周囲からの評価も高い。部下からの人望さえある。上司の信任も厚い。そんな人物が出世のために人に取り入るだけの俗物などとは信じられない。そんなバカなことがあってたまるか。二重人格の精神異常者でなければ理屈が合わない。そんな人物に騙される主役だって?そりゃ薄っぺらにもなる。綻びは強力に伝染するんだぞ。

人は好さそうだが頑固な爺さんがいる。だのに深みがない。そして最後はいいやつで終わる。途中が端折られすぎて雑魚キャラのままでククルスドアンほどの存在感もない。どこかに大切な物語を置き忘れたような気さえする。漫画だから架空だからなんて関係ない。人間の認知力はそこまで低くはない。

なぜ敵対人物をこうも短絡に設計するのか。彼の存在こそがこの物語のコアじゃないか。軍艦も航空機も主役ではない。作戦の面白みも海戦のはらはらドキドキも人間が生きていればこそだ。この作品の命は、景虎中佐が握っている。彼さえ魅力的な悪役になれば、作品を真下からどんと支え続けたであろうに。これじゃ彼がかわいそうだ。

この作品は根枯れしたと思う。

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