そして誰も上手く説明できない言葉。
巻七子路第十三之二三
子曰 (子曰く)
君子和而不同 (君子は和して同ぜず)
小人同而不和 (小人は同じて和せず)
この言葉は人の集団での在り方を語ったものだと思われる。
だが、和と同の違いは何であろうか。
君子と小人では集団において振る舞いが違うという。
和するとは何か、同じるとは何か、何がどう違うのか。
和する、同じる、この違いを言葉にするのは難しい。
なんとなく、の感じは誰もが分かっている。
和するとは自分の意見を主張しながらも仲よくする。
同じるとは他人の意見に同調しそれで良しとする。
しかし人にはこの二つの在り方しかないのだろうか
これ以外の人の在り方というものはないのだろうか。
そうであるとすれば
孔子が言いたかったことは、恐らく語られなかった所にある。
人が誰かと共にある時に、和するでもなし、同じるでもなし
それ以外の在り方があると言いたいのではないか。
それはどういう時であろうか、と彼は口を噤む。
即ち、それ言葉に出来ぬものと。
彼が言葉に出来なかったものを僕達が言葉にできる道理はない。
僕が見つけたものを彼が見つけていないはずはない。
孔子が捨てたものを拾うべきだろうか。
和するや同じるならそれでも結構である。
しかしそれ以外の在り方こそを怖れよ、と述べたのではないか。
君子でも小人でもない集団というものがあるのだと。
十七条の憲法第一条
一曰 (一に曰く)
以和爲貴 (和を以て貴しと為し)
無忤爲宗 (さかふること無きを宗とせよ)
人皆有黨 (人皆党あり)
亦少達者 (またさとれる者は少なし)
以是 (ここをもって)
或不順君父 (或いは君父にしたがわず)
乍違于隣里 (また隣里に違う)
然上和下睦 (然れども、かみ和らぎしも睦びて)
諧於論事 (事をあげつらうにかなうときは)
則事理自通 (すなわち事理おのずから通ず)
何事不成 (何事か成らざらん)
聖徳太子が示した和という言葉は日本を示す解釈でもよい。
この国に想いを寄せることを尊きものとす。
和するとはまるで人間の体のようだ。
沢山の細胞があつまりそれぞれが活動し人を生かす。
全てが同じ働きをしているわけではない、それなのに一個として存在する。
では単細胞生物は和しているとは言えないのか。
いやそれぞれは勝手気ままに生きているにも係らず
その単細胞生物がこの地球をここまで変えてきた。
この星に酸素があるのは30億年と単細胞生物の所作である。他の誰のものでもない。
和するとは調和と訳すべきであろうか。
同ずるは同調と訳すのが一般的であろうか。
しかし和するとは仲良くせよ、という戒めではない。
当時を思えば仲良くするほど弱々しい考えはない。
武を持ち敵を打つことに臆病であったりはしない。
だが、と考える。
和を尊ぶとは如何にせよ暴力を使うな、という事ではないか。
同じた集団は、一つの武力となって襲い掛かる。
武が無くなることを考えることなど出来ない。
しかし、暴力の中に和は見いだせない。
それを諌める。
聖徳太子も蘇我馬子も共に仏教を厚く信奉した。
国を治め戦争もし行く末に心砕いた。
共に国を作る二人の間にあったものは何であったろうか。
太子の才能を早くから見つけ驚く馬子、
馬子の力強さに驚嘆しながらも改革を急ぐ太子、
互いの間にある不思議な友情が紡がれながら国の行く末を編んでゆく。
その時の太子の心が第一条にあったとしても不思議ではない。
(訳)
まず第一に、
お互いに話し合うことを良とせよ。
話し合う前から反対するような事は慎みなさい。
人には帰るべき集団がありお互いの立場も異なる。
また全ての事を理解している者などこの世にはいやしない。
そのため
時には家族でもいがみあう事もあり
また隣人と意見が激しく異なる事もある。
それでも、誰もが仲睦まじく
良く話しあい、
お互いの理解を深めてゆけば
必ず分かり合える場所が見つかるはずである。
なぜ解決できない問題というものがあろうか。
学而篇にはこうある。
巻一学而第一之一二
有子曰 (有子曰わく)
禮之用和為貴 (礼はこれ和をもって貴しと為す)
先王之道斯為美 (先王の道もこれを美しと為す)
小大由之 (小大之によるも)
有所不行 (行われざる所あり)
知和而和 (和を知りて和せんとするも)
不以禮節之 (礼を以てこれを節せざれば)
亦不可行也 (亦行うべからざるなり)
なぜ聖徳太子は礼を退け和で良しとしたのか。
和の重要性は礼だけにあるのではない、と考えた。
この言葉は使う場所により色々な意味を含むものだと捕えた。
国家を作るのに礼は幼い日本にまだ定着していなかった、のかも知れない。
礼とは何か、相手を待つことである、と言える。
相手の語るを待ち、聞くことが礼の基本であると。
それを様式にまで高めた大陸と日本とでは違いがあっても不思議はない。
世界を治めるために礼が生れたのであり、礼が世界を治めるのではない。
(訳)
国を治めるには礼が大切である。
礼はお互いの間の憎しみを取り除くものである。
先王もそのようなやり方を是とした。
いろいろな場所で礼が行われるが形ばかりでは上手くいかない。
また和があるだけで礼が無ければこれも上手くいかない。
和を上手く行うには礼が必要である、と言う。
そうであるなら、まずは和から説くべきである。
和を以って礼を生す、とでも言えようか。
礼は第四条。
四曰 (四に曰わく)
群卿百寮以礼為本 (群卿百寮、礼をもって本とす)
其治民之本要在乎礼 (それ民を治むるの本は、かならず礼にあり)
上不礼而下非齊 (上、礼なきときは、下ととのわず)
下無礼以必有罪 (下、礼なきときはもって必ず罪あり)
是以 (ここをもって)
群臣有礼位次不乱 (群臣、礼あるときはいじ乱れず)
百姓有礼国家自治 (百姓、礼あるときは国家自ら治まる)
とまれ、和は礼に行き着く。
しかし、礼を考えるには未だ足りない。
今は和して同ぜずに留めておく。
(訳)
君子は広く人と話をする、しかし行動を共にする事はない。
小人は人と行動を共にする、しかし話し合いをしない。
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