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2012年2月6日月曜日

未だ生を知らず 焉んぞ死を知らん 2 - 孔子

巻六先進第十一之一二
季路問事鬼神 (季路[きろ]、鬼神につかえんことを問う)
子曰未能事人 (子曰わく、未だ人につかうること能わず)
焉能事鬼 (焉んぞ能く鬼につかえん)
曰敢問死 (曰わく、敢えて死を問う)
曰未知生 (曰わく、未だ生を知らず)
焉知死 (焉んぞ死を知らん)

神を信じていますか。
死後の世界を信じていますか。

そう問われた孔子は返答に困ってしまった。

私は死というものを何も知らぬ。
考えてみれば知らぬものを答えようもない。
死んだらどうなるかなど私には分からぬ。

分からないものに対して人は
信じるか信じないか二つの道を選ぶしかない。

と世間では思われている。
だから孔子は口をつぐむ。

しかし弟子の言葉に沈黙で答えるわけにもいかない。

そこで彼はこう答えた。

人の世で起きる事さえ分かっていないのに
神のことなど私には分かりませんよ。

この世の事さえ分かっていないのに
死後の世界の事は私には分かりません。

分からないと語っただけであり
信じるとも信じないとも答えはしなかった。

これは詰まり、口をつぐんだという事なのだ。

彼は何も答えなかった。

沈黙をもって答えとした。

僕達は今、幾つもの答えにならない問いを前にしている。
信じるか、信じないかで答えなければならぬ問いが目の前にある。

分からぬがこう考える、自分はこう行動する、と自分で決めている人々がいる。
そして説明など出来ぬが故に沈黙する人々がいる。

ただ黙って行動する、そういう人達がいる。
信じるも信じないともそういう言葉を使うことを嫌い
肯定もせねば否定もしない。

沈黙はなんと雄弁にその人の考えを語るものであるか。

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