パンデミック
数億年前、火星の地表から水が消えた。その時点で火星には生命があった可能性があり、火星由来の細菌やウィルスは地下に逃れ長い休眠状態に突入したとしても何ら不思議はない。その火星型ウイルスが自然現象で地球に届くためには、まず小惑星の衝突を必要とする。この衝突で地表面の岩石や小破片は飛び散るはずである。そのうちの幾つかは火星の重力圏を脱出し、火星の軌道から外れて太陽の方向に向かう事になる。
太陽風に晒されながらも生き延びたウイルスを含んだ火星由来の岩石が、地球軌道に合流し、地球を焦点とする公転を始める。その軌道が僅かにずれる事で地球の大気圏へ飛び込む軌道に入る。そうやって漸く火星由来の生命は地球へのランデブーが可能となる。
幾つかの破片は大気圏での圧縮熱でも燃え尽きず地表面に激突するだろう。また幾つかは大気中で浮遊する事になるだろう。どの場所に落ちるか、それは彼/彼女?らの新しい冒険である。
海上か、陸上か、衝撃でも生体が破壊される事なく、環境中に放出された。高い酸素濃度を持つ地球大気でも酸化し破壊される事もなく、様々な化学物質に晒されても破断される事なく、やっと地球由来の生物と接触する。その細胞に取り込まれる可能性、そして地球で発展したリボソームは果たして火星由来のDNA/RNAを増幅できるだろうか、その確率は如何ほどか。
いずれにしろ、火星のウイルスが地球の生命に感染する可能性は極めて小さい。何故か、距離が十分に離れているからである。感染症の第一の因子は距離である。距離を取る事が第一の対抗策である。
エスカレータの構造
(from wikipedia)
エスカレータは、進行方向に対して {上昇するか、下降するか}のどちらかである。それに上りが {右側にあるか、左側にあるか}、進行方向が {平行か、対面するか}の組み合わせで網羅する。
左 | 右 | 進行方向 | |
---|---|---|---|
1 | 昇り | 降り | 並行 |
2 | 昇り | 降り | 対面 |
3 | 降り | 昇り | 並行 |
4 | 降り | 昇り | 対面 |
二本のエスカレータが {並んで設置している、交差して設置している}の立体構造の違いは、設置される場所の要件に依存する。通常は1Fに、同じ進行方向に対して上行と下行が用意されていて、降りたら次のエスカレータが進行方向を180度変えて設置されている。
降りた場所の隣に次の乗り口がある。右側で降りれば次は左側に乗り口がある。それはずっと繰り返す。これはエスカレータが一重の螺旋構造をしている事を意味する。これは別にエスカレータの特徴ではなく階段が通常は螺旋構造になっているのである。
すると上りと下りの螺旋構造の組み合わせでエスカレータは設置される事になる。エスカレータは一方通行だから上りと下りの螺旋が二本配置する必要がある。階段は両方向に使用できるので二重螺旋である必要はない。
螺旋には恐らく右回りの螺旋か、左回りの螺旋しかない。これに進行方向が同じか対面かの組み合わせになる。
螺旋方向 | 対面/交差 | 並行 |
---|---|---|
左回り | 左回り | 右回り |
右回り | 右回り | 左回り |
対面で設置されているエスカレータは、左回りで屋上まで上ると、下りもまた左回りのまま帰って来れる。
並行のエスカレータを複数階に連続して配置する事は難しいため1階分だけで使用する場合が多い。その場合、上り口と降り口は同じ場所になるので人の導線を単純化できる。
エスカレータの平行と交差は入口の配置で決定する。同じ場所に上昇と下降の乗り口(降り口)があるなら平行、違うなら交差になる。
最も有名な並行の二重螺旋
(from wikipedia)
エスカレータの立つ位置
エスカレータの立つ位置は東京は右、関西では左というのが慣習であった。それがどのように決まったのかは分からないが、偶然であれ必然であれそれが発生した時期があり浸透に至る何らか動向があったはずである。所が、現状ではこの習慣は否定される。なぜなら立ち位置の決定が距離に変わったからである。つまり、お互いに立った時の距離がより遠くなるように立ち位置を決定しなければならない。
上りと下りの交差。
1 | {左、右} | {右、左} | 左,左 |
2 | {右、左} | {左、右} | 右,右 |
上りと下りの平行。
3 | {左、右} | {左、右} | 左,右 |
4 | {右、左} | {右、左} | 右,左 |
斯のようにエスカレータの立ち位置は決定される。
立つ位置 = NOT(対抗側の存在する位置) = (x) => { x == "右" ? "左" : "右" };
または、右回りか左回りかでも対抗側がどちらにあるかが決定できる。
立つ位置 = (右回りか左回りか) = (x) => { x == "右回り" ? "左" : "右" };
これは外縁を通るようにするのに近しい。これらは従来の決定方法とは異なる。
立つ位置 = (x) => { x = "左" }; (東京の場合)
反対方向との間で距離を取るためには進行方向に対して、反対側がどちらにあるかが決定されなければならない。これが欠かせない情報である。いずれも、反対側から距離が最大になるように決定する。従来は、反対側がどちらにあるかに関係なく、自分の進行方向だけで決定できていた。
対抗側を考慮しなければ、立ち位置が決定できないという点で従来と同じでが情報が不足している。これを判断するためには、これまでにない新しい情報を取り込む必要がある。これは脳に新しい情報収集をさせなければ上手く働かない。
新しい世界
旧来通りの方法で判断しようとすれば何度も間違える。その決定の正解不正解は運だからである。情報不足で決定しなければならない場合、それに気づかないまま決定を繰り返すと脳を混乱する。混乱すればいつか見向きもしなくなる。従来通りの情報収集では決定できない事を意識しない限り乗り越えられない。この切り替えはこれまでのルーティンワークを破壊すると同じ意味でもある。
ゲーデルの不完全性定理によれば、ある特定の条件下では、証明も反証もできない命題が存在するそうである。これを裏返せば、条件を変えれば証明できる可能性がある。
舞台の拡張、パラダイムシフト、レジームからの脱却、などはどれも変化の必要性を求める事例である。現在の状況は何かが足りない事を示唆しており、情報不足を変える事でしか解決できない問題が存在する事を暗示している。
世界がどのように変わっても世界をどう切り取るかで見つかるものがある。拡大も縮小もその方法論に過ぎない。視点の違いはプラスをマイナスにするかも知れない。自分の視点が変えればマイナスはプラスに変わるかも知れない。右と左は自分の向く方向によって変わる。
鏡像
鏡の中に映る人の右手はこちらの世界の左手のはずである。鏡の中の人がこちらを見れば、鏡の外の人の右手は自分の左手だろう。なぜ左右は入れ替わるのか。上下は入れ替わらないのに。自分の左手に左と書けば、鏡像の中の人の右手に左と書かれている。鏡の中の人の右手はこちらの世界がそのまま映っているものだから、さて鏡の世界の人にとってのその右手はどう呼んでいるのだろう。
鏡の外にいる我々はそれを右手であると呼ぶ。だから左右が入れ替わっていると主張するのである。しかし、鏡の中の人はその右手をなんと呼んでいるか。なぜ彼らも右手と呼んでいると信じる事ができるのか。
我々が、鏡の中を見ている私たちが、鏡の世界の中の右と左を勝手に入れ替えているのだ。我々は上下は入れ替えていないからだ。
鏡の中に移るものは、この世界がそのまま映り込む。ならばこちらの左はそのまま左として映り込む。よって、鏡の中の人にとっての左とは我々の世界での右のはずである。そこに何も矛盾はない。
鏡への映り方に従う限り、鏡の中で左右を入れ替えてはいけないはずだ。鏡の中の左は右であり、鏡の中の右は左である。それを勝手に左右を入れ替えればおかしくなって当然である。鏡の中の人からすればおかしいのは君たちの頭の中だ。左が常に君たちの左側だと思うなよという話である。